1+1=2という算数なら100点満点の答えは、あるのかも知れない。
しかし、確率計算は宝くじのように元々当たらないものを前提にしていたり、成功率3割は失敗だけど、野球の場合は3割打てば成功という、絶対的な概念では失敗でも、相対的な価値観では成功だったり、元々数学に100点満点の答えは存在しないものが多い。
打率のように、3割は失敗ではなく成功!
数学が理解できないのは、そもそも高得点が優秀とは限らない。
有名な数式は100点満点で何点の答えだろう?案外30点の答えかも知れない。
1+1=2のように100点満点の解答は誰でも答えることができる。しかし30点の答えは「答えなんか、なさそうなのに!」と感心して、むしろ30点の答えの方が高い評価を得ることは有り得る。
蓄音機に点数をつければ何点だろう!
王貞治の一本足法に点数をつければ何点だろう!
時代遅れで、もう高得点はつかない。しかし決して評価は下がってはいない。
点数が高い方が優秀という考え方は破綻している。
日本人は日常生活でも、まるで俳句を読むように会話をしている。
それは、その言葉が本来もっている意味に何かを付け足しながら!想像しながら会話をしている。
むしろ本来その言葉が持っている意味を膨らませたり!そこから連想する部分で会話をしている。
同じ文章を読んでも頭に入らない時があって、イメージが膨らまないからかも知れない。
未来の人工知能には、日本の能のように言わなくても通じる理解力が必要。
俳句は、言葉が本来持っている意味だけでは成立しない。書かれていないものを感じないといけない。
人工知能は、人の感情のように不安定で規則性のないものを理解しないといけない。
数式は、まるで暗号みたいで意味が分からない。
数学は打率のように3割で成功で、それは絶対的な価値観では理解できないものだったり!
俳句のように言葉の持つ意味以上のものを感じなければいけなかったり!
そのままの正確な理解ではなく、空想を膨らませないといけない。
数学は俳句を読むように、数学者の心理状態にシンクロさせると、非科学の世界まで広がっていく空想力はおとぎ話のように面白くて!架空の世界なのに確かなイメージ力に助けられて[不思議の国]は楽しいのかも知れない。
数学のような[不思議の国]を正確に理解しようとすれば、かえって挫折してしまう。
1+1=2だけでは人工知能にならない。
数学は空想のようにな非科学的な思考力を必要としている。
もしも未来の人工知能が数学は「楽しい!」と感じることができれば、人工知能は数学者になれるのかも知れない。