アスペルガー症候群で検索して、その症状を読みながら、元々合理的とか合理化という言葉は、無駄を省いて整理するという意味で、人の心を感じない言葉。
合理的・合理化という言葉は冷たいイメージの言葉で、人の心とは対極にある言葉。
人は否定的な感情で考え始めるのかも知れない。
ゴッホやピカソは精神を病んで、こみ上げてくる感情があって、そしてそんな絵を鑑賞する人の中で芸術のなっている。
ゴッホやピカソには破壊があって創造がある。
ゴッホやピカソの様に有名な画家は精神を病んでいることが多く、そんな心のバランスを崩しているところに共通点がある。
しかし彼らの描く絵は多様で、出口は多様でも入り口の心理状態は似ている。
論理的な文章にまで言葉の量が増えていくためには、こみ上げていく思いが必要で、そして次々と連想が働くために日本語は便利な言語で、俳句のように膨らむ空想も、ちゃんと伝わっていく、そんな同じ空想ができるのは日本人だけ!
広がっていく空想も、ひらめく様な連想も高揚感として日本人の間で伝わっている。
日本人は揺れ動く心理で会話している。
アスペルガー症候群とは正反対に、空気を読んで会話をしている。
最近は日本人も隣国に対する警戒心から右傾化している。
元々空気を読んで、それに従うYESマンでNOが言えない日本人が、否定的な感情に背中を押されて考えている。
こみ上げてくる怒りが考えるエネルギーになっている。
安心感はその先何も考えないけど、不安感は、そこから逃れるために、その答えを必要としている。
答えを探さなければいけない。
裏付けがないと報道しないマスメディアに対して、個人が無記名で記事にするソーシャルメディアは個人的な怒りや不安感のような否定的な感情であふれている。
考えるきっかけで溢れている。
学者は量子力学という非日常的なものに悩んでいる!
答えを探している!
そこには追い詰められた心理状態が、見え隠れしているのかも知れない。
才能は欠点に共通点があって、彼らは心のバランスを崩している。
そして結論で理解しようとすると、益々分からなくなってしまう。
答えよりも、そこには彼らの考える動機があって、そして彼らの悩んでいる心理描写で入り口のドアを開けることができるのかも知れない!
アスペルガー症候群で検索して、その症状を読みながら規則的・合理的で空気を読まない冷めた心で考えるアラン・チューリングの考えは、日本人には入り口のない出口で理解できない!
やはり日本人には結論(出口)よりも、彼らの欠点(入り口)に注目した方が、彼らの追い詰められた心理が見えて、日本人には面白いのかも知れない。
そしてゴッホやピカソの絵のように鑑賞する人の中で芸術になるのかも知れない
