人は否定的な感情で考えている。
ベートーベンは聴力を失ってから多くの作曲をしている。
「それはどんな心理状態なんだろう?」
ドイツのTVではベートーベンの苦しんでいる様子を長い時間を使って再現している。
まるでフラッシュバックの様に辛い記憶が蘇ってくる。
そして彼は耳が聞こえない!
彼は音を探して繰り返し繰り返し堂々巡りしていたのかも知れない。
音を探す気持ちに、フラッシュバックの様に蘇る記憶が加わって、彼は次々と作曲をしている。
彼の[ひらめき]には、フラッシュバックの様にこみあげてくる思いが加わって、ひらめくエネルギーは十分にあったのかも知れない。
彼の[ひらめき]は明るいイメージではなく、辛いものだったのかも知れない。
イメージ力というよりも、常にいろんなものが思い浮かんできて、それは辛い記憶が殆んどだったのかも知れない。
それはルイス・キャロルも同じで、ただ彼の思い浮かぶ幻想は楽しい妖怪の様なもので、チャップリンの亡霊のような暗さと重さはない。
チャップリンは、何か幻想の様なものを思い描いている。
案外とそれは目の前のありふれた光景に必要以上に現実感を感じていたのかも知れない。
常に人目が気になる「おそらく自分を見た人は、こんなイメージをもっているんだろうな・・・。」
人は何らかの先入観を持って見ると、他人の何気ない表情にも意味を感じてしまう。
いろんな想像をしてしまう。
あの紳士の服を着たホームレスは、それを見た人に、いろんな想像をさせる。
チャップリンにも、そんな自分を見る目の好奇な表情から逃れられなくて、いろんなものを感じてしまう。
ありふれた日常にも、いろんな想像をさせて、目の前のものにいろんな意味を感じてしまう。
それは意味を感じる必要もないのに!
意味なんかないのに!
ルイス・キャロルはウサギからトランプから、あらゆるものを擬人化している。
それはウサギやトランプに何かを感じる必要はないのに!
ウサギやトランプに意味なんかないのに!
それは目の前のありふれた光景に必要以上に現実感を感じていたの知れない。
彼らにはイメージ力があったというより幻覚から逃れられなくなってしまった。
そんな幻覚に苦しんでいたのかも知れない。
彼らはリアリティーにつかまってしまった。
日本の教育は[記憶力]という価値観で能力を測っている。
むしろ彼らは、忘れたい記憶が蘇ってくる。
記憶は固定概念化した状態で、人の知能はそれとは逆に、広がっていく想像力も!存在しないものをイメージしている創造力も!蓄音機がレ
コードプレイヤーに進化する学習能力も!全て変化している。
東大生の話している様子で気になるのはリアリティーがない。
東大生は英会話はできない、数学は意味をしらない、国語は文才がな
い。
東大生は、それらの必要性を感じていない。リアリティーのない世界にいる。
チャップリンは、日常生活に必要以上の現実感を感じている!
日常生活に意味なんかないのに!
彼らはリアリティーにつかまってしまった。
彼らは東大生とは、正反対の世界にいる。