人の可能性は欠点に注目した方が分かりやすいのかも知れない。
自分で判断しない時があって!
女性にとって人間関係を否定するのは最後の手段で、簡単には否定することはできない。
特に日本人は、家計を妻にまかせると、夫は家計について考えなくなってしまう。
群れる動物は、個体単独の決断は怖くてできない。より一体化している。
人は誰かを信じて依存すると、自分で判断しなくなってしまう。
それは日本人の集団志向性の強いDNAに起因しているのかも知れない。
日本人は独創的な発想に対して、その人は孤立化していると感じたり、少数派であることに不安を感じて、目新しい発想に対して好奇心をなくしてしまう。
日本のテストは象徴的で模範解答という多数派の意見しか評価できない。ということは独創性が全く評価できていない。
東大生は英語はしゃべれない!数学は意味を知らない!国語は文才がない!野球部は負けてばかり!
それでも「おかしい!」「間違ってないか?」と疑問に感じることはなく、現状維持を願っている。
テストで高得点をもらって、そんな自意識過剰の心理状態では偏差値を見直そうとはしない。
人は敗北感や挫折感でくよくよと考えて、達成感では何も考えない。
有名な画家は精神を病んでいたり。
有名な小説家は自殺していたり。
ニュートンやスティーブ・ジョブズは親から見捨てられたり。
才能は、むしろ欠点や問題点に共通点があって、欠点に注目する方が分かりやすいのかも知れない。
才能は欠点や問題点の、その先で能力になるのかも知れない。
長嶋茂雄の性格を[能天気]と批判すれば、それも当たっている。
しかし次第に、日本人のなかで長嶋茂雄のイメージ力を能力と感じる雰囲気が醸成されて、[能天気]と思われていた性格が、やがて才能と評価されている。
[プラス思考][イメージ力]という価値観が生まれて、欠点と思われていたものが才能になっていく典型的な例かも知れない。
画家や小説家も、ちゃんと評価されている。
長嶋茂雄も、表面的には欠点に見える。それがオセロのように、欠点という見方がひっくり反って才能と評価されている。
人は、蓄音機から[ひらめき]を得てレコードプレイヤーを発明している。
むしろ常識の方が、壊れてしまった。
日本人は未成熟なアイドルが好きだったり!子犬しか買わなかったり!自分で育てたがっている。
日本の文化は日本画や俳句そして能のように表現が少なく鑑賞する人の解釈に委ねている。
日本人は未完成なものに対して、その完成予想図を想像するのが好きなのかも知れない。
しかし日本の教育は、付け加えたり削ったり!一切の変更を認めず、教えた通り答えなさい。
教科書を暗記しなさい。
教科書と違うと×がつく。
まるで考える力のない幼児にものを教えているみたい!
日本人は[あいまい]を好む傾向があるので、むしろ漫画の方が表面的な形が壊れて、特徴だけを見ることで空想は広がっている。
日本人は長嶋茂雄の欠点の、その先で才能を見ている。
意外と、欠点や敗北感という入り口から入る方が、時間はかかるけど!人の能力の理解につながっている。
本来、未成熟なものを好んで、それを育てたがる日本人に教育の効率を求めたのが原因で、才能が育たなくなったのかも知れない。