ノーベル賞 2 | エイジのブログ

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1/fゆらぎは、少し調子外れという意味らしい。

バート・バカラックの音楽もどこか調子外れで、バカラック自身少し音痴で歌手としての才能はないのかも知れない。


光悦の茶碗を見ている時の日本人も[1/fゆらぎ]なのかも知れない。

「光悦の茶碗は、動いているのかも知れない」


日本画・能や俳句はデザイン画のような簡素な表現をしている。

そして鑑賞する人が、その気持ちを感じ取ることで成立している。

肝心な解釈は、鑑賞する人の理解力に委ねている。

日本人は日本画・能や俳句という古い作品を見ても、いつも新鮮な[ひらめき]を得ている。

もう過去は見ていない!その先を見ている!


時々聞く話で、ある生徒に「氷が解けると何になりますか?」と質問したところ「春になります。」と答えたという。この子は理科の質問に国語で答えている。しかしこれは思考力の本質をついている。


この子は、理科系の正解を求める質問に対して[1/fゆらぎ]のような文科系の感傷的な気持ちで答えている。

日本人の理解力の本質をついているような気がする。


学者から直接話を聞くことができれば、ウエットな日本人は答えではなく!

学者の悩んでいる気持ちに波長が合うのかも知れない。


学者の思考力は、広がっていく空想だったり!常識が壊れていたり!理科系の合理的な考え方では理解できない。


日本人のウエットで情緒的な文科系の理解力なら「氷が解けると春になります」と答えた子供のように、理科系の思考を文科系の感傷的に膨らむ心で、学者の空想に同期させて理解するのかも知れない。


日本人の理解力は正解の様に確定したものではなく!むしろ不安定に揺れている!

1/fゆらぎの様に、少し調子外れに揺れている!そして何かが壊れて、自分にとって必要な答えに変化していく!日本人の揺れ動く気持ちは、学者の[悩み]や[ひらめき]を動画として感じている!古い知識も、都合良く変化すれば役に立つ!


日本人の気持ちは、いつまでも揺れて終わりがない。


文科系の日本人に、答えを確定して終了させる理系のテストは向かないのかも知れない。