点数が高い方が優秀という考え方は破綻している。
[1]から考える能力には、空想力の様な広がりが必要。
創造は破壊から始まって!
常識をリセットして考えている。
そして多くの仮説を立てることで、自分の望む答えに近づくことができる。
「1」から考える能力に100点の答えが有るとは思えない。
どれもこれも正解からは、遠のいてしまう。
数学は、いろんな概念を数値化することで比較したり足したり引いたりして、違う概念を自由に操ってみせる。
元々数値化すること自体に無理があって、そして何でもかんでも計算で答えを出すことは非科学的で、数学者の考えた数式は100点満点で30点の答えかも知れない。
数学で100点満点の答えがあるのは、計算が独り歩きしてマニュアル化しているから!
そして生徒は、そんな答えを出すためのマニュアルだけを覚えて、肝心な数式の意味を知らない!
90~100点を取った生徒は数式を使いこなす能力がなく、そしてその数式を考えた数学者の答えは元々20~30点の答えかも知れない。
点数が高い方が優秀という考え方は破綻している
しかし!数学は日本人に向いているのかも知れない。
日本画は空白が多くて、書き込みが少ない。
欧米の絵画は隙間なく、びっちりと書き込まれて、重ねてはり合わせるための[のりしろ]がない。
日本語は連想の働く言語で、日本人は話し相手に気持ちを同期させて、その先を連想しながら会話している。
俳句は五・七・五でも連想が働いて、そんな連想が[のりしろ]になって単語と単語をはり合わせている。
数式は、数字と記号を並べただけで説明がない。
まるで俳句みたい!
日本語には余韻があって連想が働く!
そんな余韻が[のりしろ]になって言葉と言葉をはり合わせることができる。
日本人同士の会話でも、相手の気持ちをさっして本音を言わなくても、ちゃんと伝わっている。
明確な説明がなくても、ちゃんと伝わっている。
蓄音機を見てレコードプレイヤーを発明したように、ヒントを得るとアッという間に進化してしまう。
数学者から知恵を学べば、応用力を手に入れて数式も変化していく。
答えも変わっていく。
学ぶ対象にヒントや知恵のような、価値があればあるほど変化してしまう。
変化しないのは影響力がなく価値がないからで、正確さの価値観で学習能力を測るのは間違っている。
点数が高い方が優秀という考え方は破綻している。
日本人は相手の気持ちを読んで「口ではYESと言ってるけど、これは断っているな!」と言葉の意味を正反対に解釈して相手の本音を理解している。
そして連想の働く日本語で会話している、だからこそ知識と知識をはり合わせて知恵になっていく。
なによりも仮想現実をイメージしながら常に変化している数学者の気持ちとして理解できるはず。
数学は日本人に向いているのかも知れない。