インサイド・ヘッド 5 | エイジのブログ

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人の理解力は、同情心で測れるのかも知れない。

同情心はカナシミの感情で、他人のカナシミの感情に感化され、そこから逃れられなくなってしまう。

結果的に同情心の強い人は理解力があって、同情心のない人は理解力が無い。


今、日本は右傾化して、隣国に対してイカリの感情が抑えきれない!

そしてイカリの感情を正当化してくれる資料を求めている。

判断は、まず好きとか嫌いという結論があって!感情的な怒りや反発があって!そんな思いに背中を押されて、それを正当化している。

隣国を批判して消去法で考えて、最後に何が残るんだろう?

隣国の優れた点が見つからなければ益々嫌いになっていく。


怒り 不快 恐怖は原始的な感情で、カナシミやヨロコビの感情は、進化した前頭葉で司っているらしい。


サラブライトマンの歌は、全て自分で表現しようとして写実的に表現しつくして、デザイン画のように見る人の空想を誘う伸びしろのようなものが感じられない。


能は感情表現が少なく無表情だけど、鑑賞する人が何かを感じてくれることを期待している。

能は、気持ちを伝える正確さはないのかもしれないけど、多くの間(ま)が鑑賞する人の中で自由な想像を誘って、それが伸びしろになっている。

鑑賞する人は、何かを感じながら、そして何か言葉を付け加えている。


監督のカナシミの感情で娘を見ながら「どうして[うつ]になってしまったんだろう。」と、心に大きな穴が開いてしまった。


前頭葉という進化した脳は、カナシミの感情から生まれた空白を埋めるために考え始めている。

そして、ヨロコビの感情で気持ちは満たされて終了している。


やはり前頭葉の働きを理解するために[感情]という概念が重要なのかも知れない。


監督は、娘が感情を失くしてしまった!そんな娘を見て気持ちは重くなってしまう。

しかし、それだけでも十分に親としての責任感を感じる。


アメリカ人はサクセスストーリーが好きで、すぐに終了して、それ以上深く掘り下げようとはしない。

しかし日本人はカナシミに反応して,いつまでも気持ちを引きずってしまう。

そして、相手の気持ちを[さっして]言葉を付け加えるために、間(ま)や余白が必要になってくる。


[インサイド・ヘッド]を見て、日本人はアメリカ人以上に心理的な空白を感じて、それを埋めてくれる言葉が必要になっている。


前頭葉という進化した脳は、カナシミの感情で考え始めて、そしてヨロコビの感情で終了している。