木曜のTBSラジオで山田五郎がおもしろいことを言っていた。「日本人は完璧にやろうとして問題を深刻化させてしまう」
日本人の管理主義から「決められた通りやりなさい。」と作業をマニュアル化してしまう。そしてマニュアル通りできていれば安心してしまう。しかしマニュアル化は個人の問題提起もアイデアも求めてはいない。まして個人的な変更はもってのほかで労働者はロボット化して、何時まで経っても何も変わらない。進化や進歩は止まってしまう。
竹取物語を読むと、不思議な時間が流れている。
現実の生活とは接点がない。
ついつい妄想してしまう。
妄想している時は、一つの生活環境でも、現実とは別の時間をすごしている。それは満たされない思いから、自分自身を違う人格に置き換えることで現実社会に接している。妄想は変身願望でトラウマから逃れようとしている。
有名な画家は精神を病んでいたり。
有名な小説家は自殺者が多かったり。
大きな問題を抱え込んでいる。
「不思議の国のアリス」の破壊的な空想力に、一つ一つのキャラクターのたしかなイメージ力で不思議な時間が流れている。
現実社会との接点がまったくない!
ルイス・キャロルは、どんなトラウマを抱えてしまったんだろう?
空想は「竹取物語」の様に現実から遊離していく!
空想は元々、科学ではない!
何よりも空想することに才能は必要ない。
大きな問題を抱えて、空想に多くの時間を使っている。
偏差値型の優等生は高得点をもらって、むしろ現状維持を願っている。
おそらく偏差値を否定することなど考えたこともない!
そんな満足感の中で、人は現実社会から遊離した世界を空想するだろうか?
「点数が高ければ、高い程良い!」という考え方は破綻している。
日本人の理解力は、イチローや王貞治について、常識とは正反対な方向で考えることで、案外とあっさり理解されている。
古い常識もひっくり返せば、将棋の駒のようにちゃんと役に立つ。
そしてそんな広がっていく想像力を利用することで、古い科学から新しい科学が生まれている。
日本人の想像力は広がって正反対なものを[一対]のものとして受け入れている。
元々日本人は多神教で、いろんな神様が崇拝されている。
その点、偏差値型の優等生は模範解答を崇拝する、一神教の原理主義者!
TVで学習障害のある子を集めて東大の教授が指導する様子が放送されていたけど、たしかにそんな子の中に特別な才能をもった子がいるらしい。
しかしテストで、常識を判断基準にすると、そんな子は間違いなく落ちこぼれてしまう。
「教科書に忠実な子が優秀!」という考え方は、すでに破綻している。
最初は空想から始まる。
しかし空想は「竹取物語」のように科学との接点はなく、異次元の時間をすごしている。
もしも東大の教授に、そんな落ちこぼれてしまう子から才能が育っていく成功体験をすれば、革命的に東大入試は変わるのかも知れない。