自動車のデザイナーは試作車に自分の美意識を大胆に表現して、そういう方向に連想を働かせていく。
空想力には少し極端な試作車が必要なのかも知れない。
そんな美意識を刺激された記憶の残像から、その先を空想する。
一度、極端な方向に大きく振って、揺れ戻しがくる。
そんなやり方が日本人に向いているのかも知れない。
日本人には、常識を飛び出していく創造力がない。
やはり日本人の空想力を引き出すためには、美意識を刺激する試作車が必要なのかも知れない。
TVで、ドイツ人の発言を聞いていると「ドイツでは具体的で確定した物言いが必要なのか?」「日本人の[あいまい]な物言いとは、やはり違う。」とあらためて感じる。
論理的な話し方に関心しながらも、それでも!疑問に感じる。
自分を受け入れてくれる人と話をしていると「もっと話したい!」後で「こんなことを話せば良かったのに・・・。」と残念な思いがする。
そんな気持ちから会話には表現力が必要になって、そんな表現を探して国語力は鍛えられる。
詩や俳句を読んでも感傷的な気持ちは揺れながら広がっていく。
日本人の会話には幅があって、どうもYESとNOがハッキリしない。
日本人の会話から広がっていく思いを伝えるためには、もっと豊かな表現力が必要になる。
日本人は会話の後も、何か余韻のようなものを感じている。
日本人の歌手の歌を聴くと余韻を感じる。
もう聞こえないけど歌声の残像を感じる。
アメリカのジャズ歌手の歌を聴いていると余韻を感じない。
どうも欧米人は直接聞こえる歌声しか認識してない。
欧米人に「気持ちは察してくれ!」と期待しても無駄で直接言葉にしないと通じない。
もう聞こえない歌声の余韻を楽しむ!聞く人の中で広がっていく、そんな感性は欧米人にはないのかも知れない。
日本人はYESとNOがハッキリしない。
気持ちが揺れている。
欧米人にはあいまいな表現では通じない!
絞り込んで確定する、唯一絶対的な答えで理解している。
それとは違って日本人の思考力は揺れて、広がっていく!
そして正反対なものを「一対」のものとして見ながら、それを比較することで理解している。
相対的な概念で理解している。
日本人の理解力には幅が効果的な気がする。
気持ちの広がりであったり!
感傷的な揺れであったり!
それは常に変化している。
変化しない教科書ではそんな日本人の感受性が働かない。
試作車を造って一度極端な方向に振って、そこから揺れ戻しながら着地点を見つける。
日本人にはテストをして、たった一つしかない答えでは判断材料が不足して、何が良くて何が悪いのか意味がよく理解できない。
タブレットPCに書き込んで変化している様子!答えに行き着くまでのプロセスを体験することで学習効果はあがるような気がする。
YESか!NOか!常に確定しないと伝わらない絶対的な概念で理解する欧米人と違って、日本人にはYESとNOがなく、その間を揺れながら考える相対的な概念で理解している日本人には答えに行き着くまでの途中の段階、確定する前段階で揺れている状態を受け入れる理解力があって、結論だけの欧米人よりも、答えに行き着くまでのプロセスを受け入れる日本人の方が深く、そしてリアリティーのある理解ができる。
