昨晩テレビ朝日の土曜ワイド劇場を見ていて
ふと気が付いた
2時間サスペンスドラマの王道を行く展開で
安心して観ていられる反面、
それを過度に意識しすぎた脚本演出が
ある意味、ドラマの「自然な」展開に
障害となって立ち塞がっている
不自然さというのは例えばこういうことだ
最初の犯罪は関係者が起こす
不慮の自動車追突事故だったとする
そこへ偶然駆けつけた第3者がこの事件の
隠ぺいをもちかける
死体を現場から遠い場所へ遺棄し、
その後ひき逃げをした関係者を脅して
金品を要求し、その後展開する事件の
首謀者の返り討ちに合う、という筋書だ
現代の犯罪捜査では上記のような
事件の場合、まず最初の交通事故の
現場検証でよほど非力な物証しか
採取できなかった場合を除いて、
時間がかかっても車種特定に至り、
車の所有者が割れる
あるいは現場付近の防犯カメラの
映像解析から不審車両、
不審人物の特定が進み、
いずれ車両の所有者などからから
被害者と関係者の
交友関係などの内偵に流れていく
これが違和感のない自然な流れというものだ
このような現代的視点から見ると、
今や2時間ドラマの展開は、2時間の尺を
満たすためにわざと書かれた、捜査に時間を
費やしていた"昭和"のそれなのである
突き飛ばされた人物が柱やコンクリートの
壁に後頭部を強打し不慮の死を遂げたり、
殺意をもった犯人が犯行時にとった
手段がひき逃げだったり、その手の
"昔気質"の鉄板脚本がなければ
この2時間は相当味気ない時間に
なるのは間違いない
どうせ観る前からわかりきっている
超ワンパターンな筋書、以前はそういう
軽くお茶を濁すように時間つぶし的な
感覚で2時間付き合うことができていたが、
自分は一方で大の警察24時ファン、
犯罪捜査の技術・方法論が時代に合わせていかに
進化してきたか、簡単な説明が人にできるくらい
犯罪の"現場"のリアルが身に染み込んでいる
そこで提案だが、技術・方法の進歩で
犯罪の解決までの時間が短くなっている
ことに合わせて、2時間ドラマの枠も
時短にすればいいのではないか
「相棒」の尺×2話のような展開で最初から
ドラマ作りをすれば、見るものに新鮮さを
提供して好意的に受け入れてもらえると
思うのだ
その場合、犯人を追いつめるラストシーンの
"断崖絶壁""湖畔"は2話分でしっかり
使い分けたものを見たいものだ…
ふと気が付いた
2時間サスペンスドラマの王道を行く展開で
安心して観ていられる反面、
それを過度に意識しすぎた脚本演出が
ある意味、ドラマの「自然な」展開に
障害となって立ち塞がっている
不自然さというのは例えばこういうことだ
最初の犯罪は関係者が起こす
不慮の自動車追突事故だったとする
そこへ偶然駆けつけた第3者がこの事件の
隠ぺいをもちかける
死体を現場から遠い場所へ遺棄し、
その後ひき逃げをした関係者を脅して
金品を要求し、その後展開する事件の
首謀者の返り討ちに合う、という筋書だ
現代の犯罪捜査では上記のような
事件の場合、まず最初の交通事故の
現場検証でよほど非力な物証しか
採取できなかった場合を除いて、
時間がかかっても車種特定に至り、
車の所有者が割れる
あるいは現場付近の防犯カメラの
映像解析から不審車両、
不審人物の特定が進み、
いずれ車両の所有者などからから
被害者と関係者の
交友関係などの内偵に流れていく
これが違和感のない自然な流れというものだ
このような現代的視点から見ると、
今や2時間ドラマの展開は、2時間の尺を
満たすためにわざと書かれた、捜査に時間を
費やしていた"昭和"のそれなのである
突き飛ばされた人物が柱やコンクリートの
壁に後頭部を強打し不慮の死を遂げたり、
殺意をもった犯人が犯行時にとった
手段がひき逃げだったり、その手の
"昔気質"の鉄板脚本がなければ
この2時間は相当味気ない時間に
なるのは間違いない
どうせ観る前からわかりきっている
超ワンパターンな筋書、以前はそういう
軽くお茶を濁すように時間つぶし的な
感覚で2時間付き合うことができていたが、
自分は一方で大の警察24時ファン、
犯罪捜査の技術・方法論が時代に合わせていかに
進化してきたか、簡単な説明が人にできるくらい
犯罪の"現場"のリアルが身に染み込んでいる
そこで提案だが、技術・方法の進歩で
犯罪の解決までの時間が短くなっている
ことに合わせて、2時間ドラマの枠も
時短にすればいいのではないか
「相棒」の尺×2話のような展開で最初から
ドラマ作りをすれば、見るものに新鮮さを
提供して好意的に受け入れてもらえると
思うのだ
その場合、犯人を追いつめるラストシーンの
"断崖絶壁""湖畔"は2話分でしっかり
使い分けたものを見たいものだ…