地震が契機になり
非常事態の中、パニックに陥ることなく

一致団結して問題を解決しようという
日本国民の姿が報道され、
それが諸外国によって尊敬、賞賛に値するもの

として、民族のバリューが見直されてるという

不謹慎との批判を覚悟しつつ、

少しひねくれた観点からこのことを見てみたい


今日本人を突き動かすのは他人への気遣いだ
学問的な知見はないけど、

こうした気遣いから始まって、時間が経つうちに

バラバラの意識に秩序を設けるために

口頭のルールを作り、やがてそれは明文化され
秩序を守らず迷惑をかけるやつ
を取り締まる法律となる

善悪の境目を決めるのはコミュニティ内の

多数決が判断基準となる

それは言い換えれば、結局自分が関わることに

ついて、最後に責任を誰かに取って欲しい為に、

あえて自分に足かせをつけているということではないか

世界に日本人の美徳と賞賛されるこの文化だが
一旦施しを受ける側になると、恥の文化からか

申し訳ない気持ちから、援助を受ける責任を引き受けられず

他者の判断という『責任回避』を踏まない限り

救いの手を差し出した相手そのものを閉め出したりする

その精神があらたな誤解を生んでいる


厄介な民族だ
外の世界はその本質に気がつかないでいる