普段は度の弱いメガネを着用している

それでなくても極度の近視である為

視力に合わせてメガネをつくると

いわゆる「牛乳瓶の底」のようなレンズを

買う羽目になり、都合が悪い

生活に支障の出ない必要最低限の

矯正に抑え、上記を回避しているのだ


しかしそれで済まされないこともある

ということで、緊急事態用に両目で1.2が

出るソフトコンタクトも戸棚の奥に

待機はさせている

今日、その新しい在庫を買い足しに

行ったのであるが、

待合室でメガネとコンタクトを

短時間に使い分けると、居場所は

変わらないのにクリアーな視界になる

前後でまったく世界の見え方が違う

たとえば、メガネでは見えなかった

室内の汚れがコンタクトでははっきり

見えて、要らん不快感を感じたりする


もちろんその逆の場合で都合が

よかったりもするわけであるが、

ああ、これは情報に対する現代社会の

貪欲さに対して、フィルターを通して

入力情報をカット、需給量をコントロールし、

取捨選択のエネルギーを軽減しつつ

さらに少ないソースでアウトプットを工夫

するという、自分が理想とする社会の

仕組みとかぶってるなぁって

あらためて思い直した