最近はやりのアメーバピグを始めてみた
Yahooのアバターと比較して
キャラの絵が男女を問わず、かなり
「かわいらしさ」を強調できる設定に
なっている
極端に意図的な演出を加える
場合を除いて
男性はともかく、女性の風貌はどれも
かわいらしさ全面主張である
ところで
現代社会の病の一つで
多くの場合、人間関係の構築に
かつてないほど、敏感に対応しなければ
ならなくなっていると
つくづく感じている
特に、親しい間ほど上下関係には
異常なまでに気を使わないと、
日常生活に深刻な問題を
落としかねない
言い換えれば、
対等な関係であることに
強いこだわりを持っている人が多いといえる
そんな関係下では、価値観や意見を言う
だけで、言った本人にそのつもりが
まるでないのに、それが押しつけと
とられてしまいがちだ
そこで思うのである
アメーバピグのキャラの絵が
そうした現代社会の関係をwebの中に
置き換えたときの「緩衝材」として
働いているのではないかと
このキャラが仮になければ
アメーバピグとは、その実は
いわゆる「チャット」そのものである
携帯メールが、絵文字、デコメール
全盛であることからも
只の文字情報のやりとりでは
利用者の需要をカバー仕切れない
状態になっていると理解できる
ある学者はこの流れを
ふれあいを目的としたメディアとしての
機能で、いわゆる「じゃれあい」や
「愛撫」の延長として、電子媒体の
無味乾燥な交信のなかに、少しでも
身体の痕跡を残そうという試みだと
説いた
つまりアメーバピグ全体が
人間関係を円滑にするための予防線を
バーチャルに展開している実社会の
投影なのだ
事実、自分は人見知りしないのであるが、
画面上のかわいらしいキャラには
あまり抵抗がなく、「絡み」易かったりする
しかも、「身体の痕跡を残す」為の
仕掛けが豊富にあり、初対面どうしでも
容易にコミュニケーションがとれたり
するのだ
(自分は、いわゆる「リアル友達」関係を
維持するための携帯メディアを含めた
活用法には否定的な考えをもっている
上記で展開したように、その制約の
度合いは仕掛け次第で増減するものと
考えられるからである)
この世界では
明文化されてはいないルールを
利用者同志がある程度遵守することで
快適な、じかも実害を被る可能性が
極めて低い、
「なれあい社会」に浸かることができる
そんなことを考えながら
今夜もピグるのである