報道ステーションを見ていて
考えた


来年度の予算内容は

現在も審議中であるが

国債を50兆円以上も

新規発行しないと
現政権は公約した政策を実行

できないばかりか、

赤字国債の増発にストップを
かけるために、マニュフェストに
盛り込んだ内容の見積もりを

50パーセント削減するなんて、

おかしな話も一時伝わってきた


そこで、この事態について

なんといってもこの政権を選んだ

国民自身に責任があるのであるが、
結局大風呂敷を広げても使える

キャッシュは限られているわけで
いずれオーバー分のしわ寄せは

国民生活のどこかへ行くのである
政府側は今更いいわけができないので
目玉の新規事業の予算もムダ削減の
対象にしてまで、一生懸命国民の
為に汗水たらしていますの

アピールに必死となる訳だ


ここまで考えてふと思った
日本国家は政権交代したとはいえ

政府のスタッフも役人も、

そしてそこで立案される政策はもちろん、
国民の民度についても所詮3流国家なのだ
潤沢な予算の配分を公平に国民の
為に割り振りできるほど余裕も能力も

倫理観もない
にもかかわらず、真逆の幻想を

マスコミを通じて国民に抱かせて

将来の期待をあおる
自浄作用的な好転の傾向が望めない
という意味で
絶望的に一番やっかいなのは、
この構造に気づいていない国民

が主権を握っているなどと信じて

いることだ
そして文句を言ってれば世の中
はよくなるとデタラメな
シュプレッヒコールを無策に浴びせて
自分はなんの責任も果たさず、

追求されずのダメマスコミ


もうそれを実行する具体策の提示なしに
生活の向上をむやみに高望みするのは

やめようではないか
さすがにワーキングプアの問題が
クローズアップされてきて実体が
明るみに出たように
全国民が均質に一定水準の
生活を送るのは我が国では

残念ながら現状無理なのだ
一律レベルを落とし、質素に生きるべき

時代が来ているのではないのか

決して誇れる話ではないが
200円弁当などが象徴するように
デフレが進行して物の価値感覚が麻痺
している日本は、さらなる安値を

追求し続け、恐らく世界で最も

コストパフォーマンスが優れた
製品を生み出す国家として
情けない話だが

やがて中国をはじめ、躍進した

新興外国勢が日本の物をたくさん

買ってくれるようになるに違いない


外貨の借金がなく
潤沢な国民資産と円借款が堅持

できるかぎり、私は可能性はあると思う