なんか退職代行会社の記事で退職理由に「飲み会」と書いているケースが結構あるそうです。

 

その記事のリンク:退職代行「退職理由に○○と書いた人は158人いました」→物凄い有益情報だと話題に : オレ的ゲーム速報@刃

 

自分語りですが、私は学生時代の終わりごろの21か22歳くらいで酒をやめました。内緒ですがそれまでは10代中ごろからかなり飲んでいました(ひどい時には一晩でウィスキーのボトル半分くらい)。ところがやめる1年位前からやけに早く酔いが回るようになり始め、体調もおかしくなってあまり飲めなくなりました。取り合えず酔うと手足が骨の髄に鉛を入れたように重だるく、5寸釘を打ち込みたいくらいだるくて不快になるようになりました。後から思うに若い時から飲み過ぎたせいで内蔵のどこかを痛めたのではなかろうか?と考えています、根拠はありませんが。

 

そういうわけで就職以来45年近く下戸で通してきました。45年前の日本で下戸というのは人間扱いされないくらいの勢いでした。大げさに聞こえるかもしれませんが自信をもってそういう扱いを受けてきたと言えます。でも飲み会は特に断ることなく酔っ払いの暴言は聞き流しながら参加してきました。そのうちに日本の飲酒運転に関する罰則が段階的に厳しくなるにつれ、飲み会でも運転できる私の需要は高まり、あれだけ飲まないことを非難していた奴らが手のひらを返したようになりました。まあ私がいれば便利なんで、特に田舎は。

 

でもなんで付き合うかというと、まず第1にすべての人間が下戸を悪く言っていたわけではない、ただ何人かは必ず面倒なのがいましたが。第2に自分が飲まないからといっても飲み会の有効性(人との交流や情報など)は理解している。第3にもともと飲んでいたので飲み会のノリにはついていける。まあ割り勘負けやアッシーなど、デメリットはありますが、人の交わりというのはそんなものだけで割り切れないということですね。まあ今となっては飲めない・飲まないといえば尊重されて生き易い世の中になったと思います。

 

とはいえ飲み会が苦痛で会社を辞めるという人たちが少なからずいるということはちょっと驚きです。まあ都会は電車通勤がメインなんで帰りに一杯というのもあるだろうし、田舎ほどに下戸が容認されていないのではなかろうか?とは思います。まあ自分が受けてきた扱いを思えば、免疫がなければ苦痛でしかないのかもしれませんね。中には飲めても仕事がらみは拒否するという人もいるだろうし。まあ適当にあしらいながら2-3回に1回程度付き合うくらいで済ませればお互いにいいのでしょうけどね。

 

以前海外で仕事をしていた時の経験ですが、会社の近くにあるホテルのバーで毎週水曜日にハッピーアワーといって安く飲めるイベントがありました。でまあアメリカ人や日本人の同僚や近隣で働いている人たちが毎水曜日の仕事終わりにそこに集まるわけです。え、飲んだ後は?もちろん飲酒運転です。でも少量は容認される社会でしたので(当時は、笑)。

 

その事務所に転勤して間がない時に現地スタッフからそのハッピーアワーに誘われました。その時に私は日本人的な発想で「ごめん、ワシ酒が飲めんから」と答えたのですが、その時に言われたことは今でも鮮明に覚えています。彼女が言うに「私は一緒に行かないかと誘ったので、あなたに酒が飲めるのかを聞いてはいない。バーにはソフトドリンクもあるのだから酒を飲めなきゃそれを飲めばいいじゃない。どうする、行くのかいかないのか?」と。もちろんそのあと一緒に行きました、というか毎週水曜日の恒例になりましたね。この時に改めて酒に対する日本人とアメリカ人の姿勢の違いを感じました。まあ飲めない・飲まないというのも一つの個性と考えれば簡単なんですけど、日本人の一部はまだこの域には達していなのでしょうね。

 

そういう意味では飲み会が嫌というのも、飲むことが嫌というケースと同僚や他人と自分の時間をシェアするのが嫌というケースとがあると思います。よほど嫌いな相手なら仕方ないけども、ある程度は他人と交わることは自分の成長にも役立つこともあるので何が何でも嫌なものは嫌という姿勢もどうなのかな?という思いもあります。それと、もし自分だけが誘われない状況となれば、それはそれで面白くもなくなるだろうし、お互いがほどほどのわきまえを持って上手にできればいいのですけどね。

 

とまあちょっと長く下戸として生きてきた老人のささいな経験談でした。