先々週末に観るのをあきらめたと前記事で書いた映画「ラーゲリより愛を込めて」を改めて先週末に観てきました。いろいろと考えさせられる作品でした。シベリアの捕虜収容所の悲惨な生活についてはシベリア抑留経験者から聞いた話や若かりし時期にソルジェニツィンの著作で読んだ収容所生活の内容から想像していたよりもかなりマイルドに描かれていたように感じましたが、現代日本で製作された娯楽作品なのに加えて悲惨さだけを伝えるのがテーマではないのを考えるとある意味仕方がないことだろうと思います。

 

私は現在60代半ば、父親より上の世代は戦争に行っています。とはいっても直接知っているシベリア抑留経験者は2人だけしかいません。一人は学生時代の先生、もう一人は同じ集落のおじさん。はっきり言って、当時はどちらも人格が歪んでるとしか思えない嫌な人だと感じていました。同時にどちらの人についても周囲の大人たちからは、あの人は戦争に行く前は今とは違っていい人だったとも聞かされていました。

 

集落のおじさんとは子供が戦争の話などするわけもなく、ただただなんか分からんけどいつも怒る嫌な人という存在。でも親の話からシベリアに抑留されてひどい目に遭ってから性格が変わってしまったと聞かされていました。先生のほうは技術系の専門教官で、その方面ではバイブルといわれているほどの本を執筆されているほどの高名な方でしたが、復員後はあまりの性格の変わりように元の職場(超一流企業)でもうまくいかず、最終的に私のいた学校に来たと聞いていました。でまあ、成績の芳しくない私はちょっと目をつけられていまして、ある年にこの点数を1科目でもつけられたら、他の科目がすべて優でも進級できないという致命的な赤点を付けられ、めでたく留年となりました。普通なら同じ赤点でもそこまでの点はつけないのですが、まあ嫌われていたということでしょう(苦笑)。

 

私の赤点の話ではなくシベリアの話ですが、この先生が授業中にシベリア時代の話をよくしていました。ロシア兵の残虐さや栄養失調で毎日のように誰かが死んでいった話。今となっては詳細は記憶していませんが、悲惨な状況を生き抜いてきたというのは感じました。とはいえ本当に嫌な性格で、私だけに限らずどの学生に対してもねちねちとパワハラ三昧でした。今から45年ほど前になりますが、ロシアのベレンコ中尉がミグ25で日本に不法侵入して亡命した事件があった時など、授業のたびにロシア兵の悪口で時間がつぶれていました。

 

私の父親は戦後フィリピンで捕虜になり、しばらく捕虜収容所で暮らしたのちに復員してきました。終戦後も数か月はジャングルを彷徨い、マラリヤで動けなくなっているところで捕まったと聞いています。父も復員後は決して納得のいく人生ではなかったと思います。よく聞かされて記憶に残っているのに「ワシの人生で一番のんびりできたのはフィリピンの捕虜時代。食いもんの心配はないし、ぶらぶらするだけで一日が終わった」という言葉があります。同時にジャングルでは朝起きると戦友の誰かが死んでいたという話もよく聞かされていました。それはそれでやはり悲惨な体験ですが、戦後はどの国の捕虜になったかでかなり明暗が分かれたいうのも事実のようです。

 

今この時にウクライナで起きていること、そしてロシアの一方的な屁理屈、どれを聞いても納得できるわけはありません。同時に一方的に条約を破り、また国際法を無視した捕虜の扱いなど、あの国のやってきたことを考えると何をしでかしても不思議はないし、決して信用してはならないと思います。さらにロシアだけでなく、我々の国の西、海の向こうにはもっと信用できない国々がそろっている現状を決して忘れてはいけません。昔から「備えあれば憂いなし」といいますし。

 

今回はちょっと毒をたくさん吐いたので、デトックスがわりにきれいな大山の写真を張っておきます。