なにかといろいろあった2021年、とうとう最後の日になりました。それにしても、ようもまあこれだけサボったな、と思うほどブログを放置した1年でした(苦笑)。まあ、あまり義務感に追われず、これからも適当にやっていきますね。そういうことで来年もよろしくお願いします。

 

今年は例年以上にいろいろとありましたね。今更ですが、大きいところでは現在進行形でのコロナ、そしてオリンピック・パラリンピック。世界情勢も西の海の向こうを中心にいろいろと面倒な流れが大きくなったし。来年はどうなるんでしょうね?

 

個人的にもかなりいろいろとありました。仕事では定年して嘱託の身になり早や3年、のんびりとマイペースでやっていればいいはずが、まさかこんな流れになるとは?と思う程にドタバタした年でした。もう1年はこの状態が続きそうなんで、来年の展開はどうなるのかな?と思うとちょっとワクワクですが、忙しすぎるのもちょっと…何せ同一労働同一じゃない賃金の身なもんで(笑)。

 

プライベートではまず次女の結婚、そして海外暮らしへと想定外の展開に。その関係で東京から一時的にこちらに引き上げてきたので、1カ月ほどではありますが久しぶりに老々世帯がにぎやかになりました。その間何度地元の空港へ送迎をしたことやら。すでに現地に行って1カ月が経ちますが、これから数年何とか無事に戻ってきてくれることを祈ってます。そして長男の結婚式、入籍は1年以上前に済ませていたのですが、例によってコロナの影響で式ができない状況になりまして。結局いつまでも式場を引き延ばすわけにもいかないので身内だけで済ませました。これはこれで遠慮がいらず良い結婚式だったと思います。

 

と、これを書いている途中で嫁さんに次女からテレビ電話が入っていると呼ばれました。テレビ電話(LINE電話ですが)ですよ、顔を見ながら話ができる上に電話代がかからない。思えば私がアメリカに赴任したのは1980年の年末、ジョン・レノンが殺された直後のこと。当時はまだFAXも普及し始めたころで、毎日毎日夜になると日本との交信のためにテレックスの穿孔テープを打っていました。電話なんて高くつくのでめったに使えませんでした。FAXが導入されて機械の説明とかが絵を書いてやり取りできるなんて夢ではないかと思ったのをよく覚えています、多分テレックスを知っている最後の世代ではないでしょうか。それが今ではテレビ電話、それにインターネットがつながれば情報はボーダーレス、そう考えれば40年間の進化には目を見張るものがありますね。ちなみに当時の円/ドル相場は270円でした。

 

また脱線してしまいましたが、数時間後に迫っている2022年が皆さんにとってよい年になりますようお祈りしています。この1年ありがとうございました、来年もよろしくお願いいたします。