キリストの墓   青森県新郷村

ここがなぜキリストの墓といわれるのか以前から不思議に思っていました。過去に何度か八戸まで仕事には来たものの、なかなかここまで足を伸ばすことができず残念な思いで帰っていたのですが、何と今回の旅で長年の希望が実現しました。

本来の予定だと今回も来ることはできないかな、と考えていました。ところが飛行機の都合で。青森空港に入る予定を変更して三沢に飛ぶことになりました。その関係で八戸観光をしてから十和田湖へ、というルートだと何のやりくりをせずとも必然的にここを通ることになりました。まあ神社でもなく、本来は実際にどういった謂れの場所かもわからないのですが、気持ちが通じたのでしょうか。本当にスルッと来ることができました。

でも来て見て、あまりに整備されているのに驚きました。駐車場や資料館もあり、一つの公園になっていました。まあ墓といわれる部分に十字架が建っているのは古えからのものではないでしょうし、やはりなんでキリスト(と弟のイスキリ)の墓ということなのかは???でした。

資料館の女性に尋ねたところ、キリストの墓といわれる以前は「誰かわからない偉い人」の墓という認識で地元では祭られてきたということのようです。それが竹内文書で有名な竹内巨麿が古文書に書かれているキリストの墓がここにあるはずだと尋ねてきたところからキリストの墓ということになったようです。

竹内巨麿でやっと合点が行きました。真偽はよく分からない文書だし、何を根拠に信じればいいのかも言いようがありませんが、能登半島の「モーゼの墓」と同様、何か信じてみたい気持ちになります。三内円山遺跡をはじめ、縄文文化は思いのほか進んでいたらしいようだし、古代日本が中東と交流があったのかもしれないというのはやはりロマンですね。

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