京都・奈良の旅の続きです。
この旅でちょっとだけ思いがけない「縁(または関係)」というものを考えさせられました。その一つは「吉水神社と当地にある作楽神社」、次に「春日大社と私の氏神様」、そしてもう一つは「貴船神社と室生龍穴神社」。
まずは吉水神社と作楽神社の関係。吉水神社(それに吉野神宮)は後醍醐天皇をお祭りしてあるのですが、こちらの境内の入り口脇に木(湾曲した丸太)を削った句碑が立ててあります。これはかつて後醍醐天皇が隠岐の島に流される道中で我が美作の国に立ち寄られたときに当地の「児島高徳」という忠臣が天皇に書き残した十字の句を記してあります。その逸話の詳細についてはこちらを: http://www.yoshimizu-shrine.com/keidai.html
ちなみにその句は
『天勾践(こうせん)を空しうする莫(なか)れ。
時范蠡(はんれい)無きにしも非(あら)ず。』
時范蠡(はんれい)無きにしも非(あら)ず。』
というもので、かつての古代中国の越王・句践とその功臣范蠡の事を詠んでいます。この児島高徳公をお祭りしてあるのが、当地院庄にある作楽(さくら)神社です。このことを知った時、私の中で吉野と美作の国がつがりました。付け加えると、実は私この数年間に亘り年に1巻づつ出ている宮城谷昌光さんの「湖底の城」を読み続けています。まだ未完の作品ですが、最新巻では主役が伍子胥から范蠡に移ってきている気配があります。

吉水神社句碑

ウチらの地域の氏神様は春日神社といいます。でまあ、春日大社に参拝したときに祭神を見て「あれ、うちらの神社と同じ神様だ」と思うまで、春日大社が春日神社系の大元だと思いが至りませんでした。本当にトホホな奴です…。でも、気が付いてはいなくても、今回の旅での参拝リストの筆頭に考えていたので、やはり何かのお導きがあったのでしょうかね?

最後は貴船神社と室生龍穴神社の関係ですが、貴船神社の祭神は「タカオカミノ神」、そして室生龍穴神社の祭神は「タカオガミノ神」です。漢字も読みも微妙に違いますが、多分同じ神様だと思います。もともと貴船神社はルート的に外れてくるので行くかどうか迷っていましたが、出発する前には行くことに決めました。室生龍穴神社は、現地で宇陀水分神社を調べている時に偶然知りました。で、何か気になったので急きょお参りすることにしたという経緯があります。当然祭神が同じだとは帰ってきて写真を見るまで気が付きませんでした。偶然とはいえ、こんな珍しい神様を祭ってある神社に続けてお参りするというのもちょっと不思議な気がします。
貴船神社由緒室生龍穴神社これ以外にも護王神社や伏見稲荷は当地や知人の関係からほんのちょっとだけつながりがあります。余談ですが、今回のキーワードは「坂」だったのかも知れません。貴船からの帰り道、思ったよりも早く参拝できたので鞍馬寺に寄りました。でも鞍馬寺って山のてっぺんにあるなんて全然知りませんでした…はい、しっかりと登りましたよ、それも腰痛で歩行困難な脚で。そしたらいくら登っても寺がないではないですか、あれはきっと金毘羅さんよりもハードではないかと思います。次に伏見稲荷、有名な千本鳥居を抜けても道が続いているので頑張って登っていたのですが、登れど登れど終わらない山道…遂に足がもたないと判断して引き返しました。せっかく護王神社で脚の事をお願いしたのに、その日のうちにこれだけ負担をかけてどーする?と自分に問いかけてましたね、さすがに試練というにはきつ過ぎました。他にも吉野方面では凍結したつづら折りの坂道には泣かされましたし、奈良公園や明日香でもかなり歩きました。