3週間以上も放置プレイ中なのに、いきなり2つも書きこんでます。きっとこれでしばらく放置プレイ・アゲインになるのかな?
今テレビで「99年の愛・Japanese Americans」というのをやってます。今夜が5話連続シリーズの最終回です。5回の内1回と3回の放送は見てませんが、なんとなく見出したら止まらなくなって見てしまいます。
私がアメリカに渡ったのは1980年、カリフォルニア州だったのでお客さんにも日系人の経営者の方が何人かおられました。当時すでに戦後35年が経ち、日系2世の方々もそれぞれ戦後の無一文になった悲惨な状況を感じさせない生活をされている人達も多くいました。
ある日系人のお客さんにはとてもかわいがってもらいました。まだ新入社員でろくに仕事も分からず、英語も喋れない私にもずいぶん親切にしてくれました。この人も2世で、やはり志願してアメリカ軍の兵士となった人でした。記憶があいまいなんですが、多分日本の進駐軍で通訳をしていたと聞いたように思いました。
赴任当時の私は駐在員といっても給料は安く、半分がアパート代に消えていました。日本円にすれば決して安いわけではないのですが、当時の円ドルのレートが260-70円なのでドルで支給されると今の日本でいえば12-3万の価値しかありませんでした。それがいいたい訳ではなくて、貧乏だったので航空便の1日遅れで配達される日本の新聞は手が出なくて、安い現地の日系新聞で「羅府新報」というのを読んでいました。
羅府というのはロサンゼルスのことで、要するにロサンゼルスの日系人社会の情報誌という意味合いが強くて、日本の記事と現地の出来事が大雑把に把握できて、生活するにはとても役に立ちました。そういった中で、第二次大戦中の日系人の生活についてはいつも多くの特集が載っていました。中には収容所のリユニオンの案内など掲示板に載っていたりして、知らないうちにツールレイクやマンザナーといった収容所の名前も覚えてしまっていました。
同時に大戦下での日系人の収容所での生活や442部隊の活躍なども知ることができました。そして、現地での生活を通じて日系の人たちと触れ合うことで、知らず知らずに彼らに対して敬意をはらう気持ちが芽生えていました。
ドラマでも描かれていますが、442部隊はヨーロッパ戦線で多くの犠牲をはらいながらも多くの勲功を立て、アメリカでも敬意の気持ちをこめて語り継がれています。アメリカ人として生まれながらありえない差別の中で日本人の名誉を守る為に闘った彼らの気持ちを思うと本当に胸が締め付けられる思いがします。
この442部隊は「GO FOR BROKE(当って砕けろ)」で有名ですが、私のメールアドレスを知っている方はこの言葉が入っているのに気付かれると思います。これには自分を鼓舞する気持ちと同時に、若い頃お世話になった日系社会への敬意の気持ちがこもっています。
まあ、何かとりとめのない昔話になってしまいましたが、それほど深い関りがあったわけでもないのに、日系人の話になるととても人ごとのように感じない気持ちになってしまいます。