私は一応技術系の学校を出ているのですが、出来が悪い学生で専門科目はいつも赤点という華麗な経歴を誇っています(反省っす)。

自慢ではないですが(というか、これだけ徹底してれば自慢できるかも)学校で教わったことなんぞ、かけらも記憶に残ってません。その中で私の琴線に触れたことが一つだけがありました、これだけは当時から忘れたことがありません。

その内容というのは歯車(ギヤ)の設計についての話でした。機械に疎い人でも歯車の役割やどんな部品かということはご存知と思いますが、念のため簡単に言えば、歯車というのは円盤の外周に同じ形のぎざぎざ(=歯)が付いていて、同じ形の歯が切ってある別の円盤とその歯の部分の凸凹が噛み合いながら回ることによって円盤から円盤に動力を伝達するものです。車が1速2速・・・とスピードが変わるのはこの円盤のサイズの違うものの組み合わせを変えているからです。 ・・・うーん、なんか余計に分からないかも・・・ま、いいかぁ。

で、この歯車の歯の設計にはややこしい計算(あくまでオバカな学生だった私にとっては、です)が必要になります。そこで、理論上パーフェクトな形状の歯車を組み合わせるとどうなるかといいますと、実は回転できないんです。歯同士が完全に噛み合うため、動くに動けなるんですよね、これが。そこで何が必要なかというと「遊び」、専門的にいうと「転移係数」という係数Xを与え、わざと歯同士が噛み合ったときに隙間が出来るようにしてやらなければいけないのです。だから実物の噛み合った歯車を触るとガタガタしてます。このガタガタする「遊び」があって初めて歯車は正常に働くことができるのです。ついでにオイルでの潤滑や冷却も必要です。

この理屈を文系のオツムなのに理系に進んでしまった不幸な大あんごうは、人生に当てはめて考えたんですね(当時は今より、ちょっとだけおりこうさんでした)。これは人間同士の関係にあてはめても同じではないかと思ったわけです。完璧主義の人って、周りが全部駄目なやつに見えるようですが、実際には少々ちゃらんぽらんな部分(=遊び)がある人の方が仕事が上手く出来たり、人とのつながりが円滑なことってよくあります。また他人に対しても遊び(or余裕)の気持ちを持って接すれば、あまりギスギスする関係になることも少ないですよね。ま、どこまでいっても程度や限度はありますが・・・。

人生に限らず、世の中の多くのことにこの理屈は当てはまると信じています。当然、完璧でなければいけないことも多く存在しています。でもたった一度の人生、時には「ケ・セラセラ♪」でもいいのではないかと思いながら生きてます。

といいながら、実はA型の私、結構細かいんですよね、それに短気だし(この短気を知っているのは家族のみ・・・外ではノンビリ屋さんです)。改めてちょっと反省、これからは気をつけるようにします。