そういえば
両親なんかと


山菜採りに
前は出かけて


そのときに
二年前位かな?


茗荷の木が
山奥にあって



採ってきて
アパート庭に


植えたんだ
思い出したよ!


年に何度か
思い出すけど


勇気だして
さきほど庭に…



ドキドキ…
緊張するわー


そしたら
なってました



うひゃー






記念に
も少しあっぷ






根元に花が
咲いておますクラッカー黄色い花キラキラ


茎は地下に
広がってます~


や~感動の
日曜日ですわ虹キラキラキラキラ

(笑)



あ~また
菜園やりたひ~


アパートが
半日陰なので


菜園が中止
なんすけどねぐすん



茗荷ならば
イケまするね!!


きゃー
楽しみ楽しみ
 

♪♬o(﹡ƠωƠ֦﹡)oワクワク♪♬












先日は
師匠と課長と


高崎の
だるま弁当で


ご有名な
たかべん食堂


にてにて
ランチ女子会ルンルン



冬場の飲食
関係仕事のね


あ!
課長は男です


(●ↀωↀ●)✧




今期の軽く
打ち合わせし


3人で
なぜか神社へ!










( 'ω'o[ 倉賀野★飯玉神社  ]o


御由緒
 
御由緒御祭神は大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)。御神体は「クニタマさま」と呼ばれる亀形の自然石である。


起源

今から二千年の昔、第十代崇神(すじん)天皇の御代、国中に悪疫が広まり、帝(みかど)は倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)に祈願してようやく国家の災厄を鎮めることができた。やがて皇子の豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は父帝から東国の平定を命ぜられる。そして出立のとき、帝から御愛石(大切にしていた亀形の自然石)を授けられた。社伝によれば、豊城入彦命は陣中すなわち今の境内に松樹をお手植えになり、都から捧持してきた亀石を御霊代(みたましろ)として祭祀をおこなわれた。この石は倭大国魂神の御分霊と伝わり、「御神体のクニタマさま」として今も御本殿に奉安される。


悠久の歴史

大同2年(807)、坂上田村麿が東征凱旋の途次に造営舞楽を奏上。神社に伝わる社宝「翁面」はこの故事に由来するという。『上野国神名帳』に正五位上大国玉明神とある。近隣一帯は神社にちなんで「宮原荘みやはらのしょう」とよばれた。建長5年(1253)倉賀野氏の始祖倉賀野三郎高俊が社殿を造営。以後、倉賀野氏の氏神として社殿の建替、修復が繰り返された。倉賀野氏は武蔵七党とよばれる武士団の一つ児玉党の余流で、烏川北崖上に要衝・倉賀野城を構えた。至徳3年(1386)倉賀野三郎左衛門尉盛勝社殿建立、長禄2(1458)倉賀野三河守行政社殿建立、永禄2年(1559)金井淡路守社殿修復。江戸時代は中山道倉賀野宿と近隣七ヶ郷の総鎮守として崇敬を集めた。旧社名は飯玉(いいだま)大明神。延享4年(1747)御本社造営。寛政元年(1789)御本社修復。現在の社殿は、元治2年(1865)3月に上棟式、翌慶応2年(1866)9月に遷宮式が行われたもの。明治10年大国魂神社と改称、同43年に近隣の数社を合併して倉賀野神社と改称した。氏子区域は高崎市の倉賀野町および宮原町である。(倉賀野町は昭和38年に旧群馬郡から高崎市に編入合併となり、このとき宮原町は旧倉賀野町から分離新設された)。今日も地域屈指の古社として参拝者が絶えない。

                              (飯玉神社様  HPより抜粋。)






で、
このこま犬


夢にでてきた
少し前に









なにげに
びっくりした


∑ 川∩´。•o•。`∩川♡♡




正夢ってやつ
かなかな


またまた
導かれました~♡










今日の夕勤
バイト帰りに


駐車場から
車を出すとき



老夫婦?
熟年かっぷる?


ネオン街を
すごい仲良く


手ぇつないで
通ったんだよね



たしか!
車のライトが


まぶしくてか
恥ずくてだか



顔かくしてた
おじいちゃん


それをみて
笑っていたな



おばあちゃん
かわいイエローハート



振り返ったら
まだつないでた



手と手。