東日本大震災があり、ダンナの実家は地盤が固く、被害はさほどなかったが、家にひびが入った。あと3、4年は住めると言われたが、ばあの高年齢もあり、1人暮らしを心配したダンナは同居を決心した。
いずれ立て替えしなきゃならないのだからと。

私は、同居したくないと言ったのにえーん
私は、市内中心部に近いマンションでも良かったのに。
ダンナは一戸建てがいいと、立て替えを決心した。

どうしても同居して欲しいなら、水回り全て別の二世帯住居にしてと、私はダンナに言った。

ばあからも、キッチンは別にしてと要望があり、ラッキーだった。

その年の12月に完成して、私たちが引っ越ししてきた時の事。

ばあが先頭になり、ダンナ、娘二人、私の5人で近所9件に挨拶に行った。

私は、挨拶の品を持たされ、ばあは、近所のお宅の人が出てくると、
『一緒に住む事になりました、長男の◯◯と孫達の◯◯と◯◯です。よろしくお願いします』と私から挨拶の品を取り上げ渡した。ダンナと娘達の紹介だけして、私の紹介も名前すらも出てこず、私は、一番後ろでただの荷物持ちだった。

玄関先での挨拶の会話は、『あんなに小さかったお孫さんなの』とおどろかれ、盛り上がる姑。他のお宅では、『◯◯君(ダンナ)とうちの娘は同級生だったね』と言われ盛り上がる姑。

どこのお宅回っても『嫁の◯◯です』と紹介されず悲しかった汗汗汗

なぜに私が一番後ろ?
普通は、ダンナ、私、娘達だろうがプンプン

何よりも悲しかった事は、ダンナがそれに気づかなかった事涙涙

あとから、悲しかったとダンナに言ったら、そんな些細な事とか、過ぎた事だろと済まされた。

私もその頃は、同居始まる時だったので我慢したけどープンプン

あれから約4年半近く暮らし、よーくわかりました。ばあは、いつも私を無視している事が。
 
あの時の事は未だに忘れられませんえーん
私も、穏やかに恩?返し致しますのでーてへぺろ