64年目の終戦記念日 ~私の戦争論①~ | 公務員ってこんなもん。

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ある地方公務員の日常。
仕事もプライベートも、日記を通して公務員の実際をつづります。
なぞの職業「公務員」もこれで完璧?

このテーマは、人によってさまざまな捉え方があり、もしかすると批判的なご意見もいただくかもしれませんが、それでも忘却するよりは議論をして記憶しておくことが重要だと思い、あえて書かせてもらいます。
ご意見には、正面からお答えするつもりですので、遠慮なくコメントしてください。

太平洋戦争が終結して64年。
当然戦争中には私はまだ生まれていませんが、私なりに様々な本を読み、記録映像なども見て、学校教育や報道と比較して感じたことです。
確かに、戦争はしない方がいいですし、やってはならないことだと思います。
しかし、少なくとも太平洋戦争については、日本が開戦したのは、経済的に追い詰められ、その市場を中国大陸に求めたことによって国際的に追い詰められ、その結果最後の手段として開戦に踏み切ったと思っています。

では経済危機を打開するために中国大陸を植民地化したことが悪いことではないのか、ということについては、当時欧米各国も同様に植民地を持っていて、同様にアジア諸国から搾取を行っていました。日本が国際的に孤立を深めたことについても、日本の行いが人道にもとるからではなく、ただ欧米各国から見て、大陸市場が日本に独占されることを避けたかったことのほうが大きかったと思います。

そして、「ハルノート」と呼ばれる、当時のアメリカ大統領補佐官からの最後通牒によって、日本は大陸市場を諦めるか、石油の輸入を止められるかという二者択一を求められることになりました。当時の日本経済からみれば、このどちらを飲んだとしても経済的に破綻することは目に見えており、当時の日本としては大陸市場は維持しつつ、アメリカ大陸から輸入を止められた石油資源を、東南アジアに求めるしかなかったわけです。しかし当時の東南アジアは欧米の支配下にあり、石油が足りないから分けてほしいといって通るわけはありません。石油を得るためには、武力によってこの地を欧米から手に入れる必要がある。

しかし、東南アジアで戦争を始めれば、アメリカが黙っていない。そしてアメリカと戦争をすれば、自力に勝るアメリカに押し込まれるのは目に見えている。そのため、最初の段階でアメリカを大きく破って、アメリカ世論に厭戦機運を巻き起こそうというのが、山本五十六の真珠湾攻撃作戦でした。

ただ、真珠湾攻撃自体は、アメリカに筒抜けだったにもかかわらず、逆にアメリカはあえて対策を講じず、日本に先に攻撃させて国民の戦争意識の高揚に利用した、という説もありますが。
いずれにしても、少なくとも日本には、歴史上言われているように、「宣戦布告なき攻撃」をする意思はなく、ただ宣戦布告の手続きが遅れ、そのために宣戦布告前に攻撃が実施されたという事実は忘れてはならないと思います。

この内容については長くなると思いますので、とりあえず数回に分けて記事にしていきたいと思います。
今日のところはとりあえずここまで。
ただ、最後に断っておきますが、私は別にあの戦争を正当化するつもりはありません。開戦自体も、旧陸軍が強引に推し進めたことであり、旧海軍の中には山本五十六はじめ、非戦論が主流であったわけで、戦争を行わない選択肢もないわけではなかったとは思います。しかしながら、当時の世相からすると、非戦の道は限りなく狭いものだったと思いますが。

戦争はないほうがいいです。しかし事実を客観的に見つめ、そこに至る道を正しく見つめることこそ、将来起こるかもしれない戦争を避けるために必要だと思います。