吹田山田城について勝手に考える会
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参考文献一覧

参考文献(資料保管場所)

五畿内志(デジタル国会図書館)

山田郷土史山田のあゆみ60-62(吹田市立図書館山田分室)

東摂城址図誌

大阪府全志3巻1029 (デジタル国会図書館)

好きやねん史「すいた・千里」133(吹田市立図書館山田分室)

日本城郭大系12巻(吹田市立図書館山田分室)

山田城の所在地

推定される所在地

山田中村(大字)の大峰(小字)にある墓地を左下の頂点とし、北東に延びる両側が傾斜の急な谷に挟まれた1つの尾根全体を包み、中村の村落を貫通する通称旧街道を底辺とする直角三角形に近い形状(一辺400~500m)であった(約100,000m2、約30,000坪)とされる。

南側の境界線は中村と小川村の境界にほぼ一致し、山田川に達する。北側の境界は大峰(墓地)から北北東に下り、市民体育館付近より北東に曲がり、山田東二丁目と山田東四丁目の境界を直進して旧道に交わる。

 

図1 山田城の推定所在地

 

現在の地図に当てはめると上図のようになる。吹田市立山田市民体育館を中心として、府道2号線が南北に通っている。

 

山田城の構造

山田城は自然の谷、地形、崖を使い土塁と堀を巡らし、城内を何段かに分けて砦とした。東西150間、南北50間、東北150間の三角形の形をなしていた。城内には倉庫や展望の役割を持った矢倉を構え、塀や柵をめぐらせ、掘立式の小屋が建てられ、屋根は板葺か檜皮葺であったと思われる。また、掘り抜き井戸によって水は比較的容易に得られたと思われる。追手橋や矢倉の地名が残る。追手橋は現在も山田川にかかっている。

 

また、図1の推定所在における現在の高低から考える。

 

 

 

山田城の13の支城

13の支城

戦国時代には山田城には13の支城があったとされている。13の支城のうち、郡山城、沢良宜城、穂積城、水尾城、目垣城、新家城の6つはわかっているが、残りの7つは不明である。

 

山田城と支城の位置

現在判明している支城と山田城の位置関係は下図のようになっている。