プロフィールに記載している通り、私は趣味で競馬予想を楽しんでいる。
10点以内と自分に課した制約の中で、馬券戦略を組み立てることを楽しんでいる立場だ。
従って、他人の予想、とりわけプロの予想も大いに参考にしており、好きなプロの予想家の一人が清水成駿である。
先週の土曜日、いつもの様に東スポを広げた私はショックを受けた。
明日は菊花賞だというのに一面に清水のコラム馬単三国志がない。
最終紙面かとひっくり返してみるがやはりない。
ようやく見つけた場所は競馬紙面の3面だった。
清水の予想が不調なことは知っていたので、妙にさみしい気持ちで馬単三国志を読み始めたのだが…、書き出しが凄い!
『東スポの1面トップであろうとなかろうと、「馬単三国志」は命がけ』とのものであり、一瞬でも憐れみの気持ちを持った自分の無礼を恥じた。
同時に「さすが成駿!さすがプロ」と嬉しくなり、前段の件を妻に語ってしまった。
片や、1面に登場した高橋三千綱。
リラックスして競馬を予想することが大切と説き、酒を楽しみながら数時間かけて予想するという。
同じ競馬予想オタクとしては、とても共感が持てるし、プロの“書き手”のものであるから読み物としてつまらなくはない。
しかし、高橋の予想と自分の予想の区別が付かない。
つまり、文章の巧拙は別として、予想はブログレベルということだ。
130円払って買った東スポの記事の中で真っ先に彼のコラムを読もうとは思えないのである。
菊花賞は清水の本命馬クォークスターも高橋の本命馬リリエンタールも馬券の対象とはならなかった。
果たして、来週の天皇賞・秋で東スポ1面を飾るのは誰の記事なのか?
ハズレても構わない。
私が金を払って読みたいのは“命がけ”の予想の方である。
10点以内と自分に課した制約の中で、馬券戦略を組み立てることを楽しんでいる立場だ。
従って、他人の予想、とりわけプロの予想も大いに参考にしており、好きなプロの予想家の一人が清水成駿である。
先週の土曜日、いつもの様に東スポを広げた私はショックを受けた。
明日は菊花賞だというのに一面に清水のコラム馬単三国志がない。
最終紙面かとひっくり返してみるがやはりない。
ようやく見つけた場所は競馬紙面の3面だった。
清水の予想が不調なことは知っていたので、妙にさみしい気持ちで馬単三国志を読み始めたのだが…、書き出しが凄い!
『東スポの1面トップであろうとなかろうと、「馬単三国志」は命がけ』とのものであり、一瞬でも憐れみの気持ちを持った自分の無礼を恥じた。
同時に「さすが成駿!さすがプロ」と嬉しくなり、前段の件を妻に語ってしまった。
片や、1面に登場した高橋三千綱。
リラックスして競馬を予想することが大切と説き、酒を楽しみながら数時間かけて予想するという。
同じ競馬予想オタクとしては、とても共感が持てるし、プロの“書き手”のものであるから読み物としてつまらなくはない。
しかし、高橋の予想と自分の予想の区別が付かない。
つまり、文章の巧拙は別として、予想はブログレベルということだ。
130円払って買った東スポの記事の中で真っ先に彼のコラムを読もうとは思えないのである。
菊花賞は清水の本命馬クォークスターも高橋の本命馬リリエンタールも馬券の対象とはならなかった。
果たして、来週の天皇賞・秋で東スポ1面を飾るのは誰の記事なのか?
ハズレても構わない。
私が金を払って読みたいのは“命がけ”の予想の方である。