ことばのイメージ研究の歴史
紀元前4世紀、ギリシャの哲学者へラクレートスが、一部の語音が伝えイメージについて述べた記録がありますが、この種の説はフィジズ説と呼ばれておりました。その後近代言語学が発達したのにともなって、意味論中の[象徴論]として扱われイメージは「心的映像」の名で研究がされています。
しかしこれらが対象とするものは、明白な特徴をもつ一部の音を捉えたでけであらゆることばのイメージを取り出すなどはできません。
わが国でも鎌倉時代、僧仙覚によって提唱され、その後江戸期に鴨真淵、本居宣長、橘守部などの国学者に引き継がれた「音義説」というのがありました。この説は、[アは顕わるるさま][サは清らかのさま]など、五十音のイメージを捉えるものですが、「ア」のイメージを[顕わるるさま]と定義ずけると[穴]の「ア」は証明できないし、「サ」の音を「清らかのさま」と定めると、[ドサクサ]の「サ」の説明はできなくなるなど多くの矛盾がありました。
これらの説の欠陥は、いずれもことばの表情を「音素」や「音節(拍)」という表面的な音の単位で捉えていないところに無理があったといえるのです。
ことばの表情を捉えるには、「拍」や「音素」の奥にある音の単位で捉えなければならないのです。
「拍」や「音素」を構成しているものとして調音種や音相基というのがあり、それらが固有の表情を作りますが、表情んいはそれらが響きあって生まれるものもありますし、表情語同士の響きあいから生まれる「情緒]もありますから、これらのすべてを総合的に判断することで初めて「ことば」の表情は捉えられるのです。
このような方法でことばの表情を体系的に捉えたのが音相理論です。