[蛙]と「かわず」、名句にみる音相の違い
都会の片隅の、忘れられたような水辺でも蛙の声が聞かれる季節となりました。
蛙は「かわず」とも呼ばれますが、どういう使い分けがされているのか辞書や俳句歳時記を調べて見たが、その区別を書いたものは見当たりませんでした。
だが人々は、遠い昔からこれらを感覚的に器用に使い分けて、微妙なイメージの違いを伝え合っているのです。
誰でも知っている松尾芭蕉の句に
「古池や かわず飛び込む 水のおと」
があり、小林一茶にも
「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」
がありますが、そのイメージの使い分けを見事に行っているのがわかります。
これらのイメージの違いを捉えてみようと音相分析をしてみたら、「かえる」という語の輝性(明るさ)は+B0,7、「かわず」の輝性は-B2.2と出ました。
音相分析法では、イメージの明るさをこのように+と-で捉えますが、その標準はことばの音の長さによって変わります。3音の語だと±B0.6が標準ですから、「かえる」はやや明るいイメージを伝える語、「かわず」は非常に暗いイメージを伝える語であることがわかるのです。
芭蕉がもし[かえる飛び込む水のおと]としていたら古池の不気味さや重苦しさは伝わらなかったでしょうし、一茶の「やせがえる」が[やせかわず]だったら、やせ蛙の細くて軽い感じは伝わらなかったことでしょう。
どちらの句も適切な音をもった語を選らんだことで、奥の深さを表現したすぐれた句であることがわかるのです。
昔の人は「音相」のことばは知らなくても、音相論と同じ感覚でことばを選んでいたことがわかるのです。