音相理論はなぜ日本で生まれたのか。
音相論はことばの音の表情(イメージ)を数量化できた世界初の理論ですが、そういう立論がなぜ日本語で可能になったのでしょうか。
1つは日本語が精緻な体系を持つ言語であることと、他言語からの影響をほとんど受けない純度の高い言語であること、3つ目に、音の単位となる拍(音節)の数が適当であることが上げられます。
日本語は「敬語」などに一部例外がありますが、文法などで見られるように、言語構造が体系的で、例外として扱うものがほとんどありません。
日常使っている日本語を単語を単位に分解すると、80%以上がやまとことば(和語)系の単語ですし、外来語は「名詞」としてしか使っておりません。
そのため統辞構造(ことばの順序)や文法や音韻など、言語の基本といわれるものは外国語の影響を全くといってよいほど受けていないのです。
音相理論が、日本語で始めて実現できたいま1つの理由として、表情を捉える基本単位となる拍(音節)の数が138と極めて少ないことがあげられます。
音相理論ではことばの音を音素に分解したあと、表情は「拍」を単位に捉えますが、拍(音節)の数が多くなると拍を単位に表情を捉えることがむずかしくなります。英語の例でみてみると音節の数は、1.800だ、3.000はある、いや10.000以上だ、など学者によってまちまちですが、音節数が1800以上にもなると、脳が行うイメージの識別は曖昧になってしまうのです。
日本語の場合、あらゆる音声を138の拍に集約できたところに、音相論の立論を可能にした大きな理由があったのです。
(木通)