俳句の琴線に触れる研究、「音相理論」 | 日本語好きな人、寄っといで

俳句の琴線に触れる研究、「音相理論」

 俳句スクエア」の主宰者で、医師としてもご活躍の、五島篁風(高資)先生とのメール交信のあらましを以下で転載させていただきました。


 【五島氏】
 早速「日本語の音相」をご配送いただきありがとうございました。
 先生の「音相」理論は、これまで不毛だった日本の伝統的詩歌の詩的創造性における音楽性の重要性を解明するための画期的な研究成果と存じます。俳句実作者としても深く琴線に触れるものがありました。

 短歌や俳句では、音数律についての言語学的理論はある程度の進歩を認めますが、音韻的効果については、折口信夫の『言語情調論』などがありますがまだまだ不十分で、未だに「調べ」という曖昧な概念に甘んじているのが現状です。 先生の「音相」は、まさにそのあたりの本義を闡明するものと考えます。


 【木通】
 この理論は、日本語の音韻の奥深い実体を捉えてみたいと考え構築してきたものですが、著名な俳人で評論家でもあられる五島先生から、核心を捉えたお励ましのお言葉を頂き、心よりお礼を申し上げます。


 ご説のとおり俳句や文学一般および言語科学の分野では、ことばの音のイメージは、いまだに「調べ]や「語感」という抽象的なことばでしか論じられておりませんが、理論的根拠を元に、「イメージ」の客観的価値評価ができる手法を開発することと、現代を生きる人々が持っている感性を、より深いところで実感でき、表現できる手法について考えてきたものです。



 【五島氏】
 先生が「具体的な日常語のレベルでの体感とその表現」を重視されていることはまさに同感の至りです。短歌や俳句の表記は未だに旧仮名遣いが主流であり、私もその音韻的効果は確かに日本語の発生に遡る重要な役割を持っていることは充分に認識しています
 しかしながら、その一方で、現代仮名遣いにて教育された私たち戦後世代にとっては、やはり、幼少時に習得した現代仮名遣いによる言文一致が直覚的な詩的発想に深く関与していることも事実です。前者では親から受け継いだ遺伝的要因の関与が考えられ、後者では幼少時においてまだ可遡性を有した未熟な脳神経のネットワークが音声を介した言語システムに準拠しながら形成されていくことが大きく影響しているものと考えます。


 芭蕉が「俳諧は三尺の童にさせよ」「句、調(ととの)はずんば、舌頭に千転せよ」と述べているのもやはり意味生成以前の音韻にもっと留意せよと戒めているのだと思います。 そして、あくまでも知識としての言葉遣いではなく、実際に私たちの脳神経に刺激を与える、つまり、日常語における「音」による直覚的な体感作用こそが、やはり、その時代における詩性にとって大事なのではと考えています。



 【木通】
 旧仮名遣いは、俳句の本源を捉えるうえで必須の基礎知識と思いますが、現代人が体感した心象を適切に表現するには、より実音に近い表記をとる新仮名遣いの方が優れていることが多いように思います。私もお説にまったく同感です。
 現代人は[てふ]より[ちょう]と書いた方が、蝶の実感をより正確に感じ取る音相感覚を、誰もが持っているからです。「ちょ」の音は、無声破擦拗音という音素でできているため「明るく、軽やかで、派手な」イメージを作る音ですが、現代人は「ちょ」と聞くだけで「明るく、軽やかで、派手な」ものを直感できる脳神経のネットワークをすでにもっているのです。
 そういう感覚を持つ人に「てふ」の字を「ちょう」と読ませることは返って
不自然さを増すだけで何の効用もないように思うのです。


 日本人のこのようなことば感覚の進化にともなって、音に視点を置いた言語論として、音相理論の意義があるのではないかと思うのです。どうぞ今後ともよろしく、ご指導とお引き回しのほどをお願いいたします。