「音相」と「音象」とは大違い | 日本語好きな人、寄っといで

「音相」と「音象」とは大違い

 当社の登録商標である「音相」とよく似た「音象」ということばがホームページなどで最近時々見られるようになりました。調べてみると、理論も根拠もない、大衆をアッと驚かすだけの他愛ないもので、ことばの音のイメージ研究を営々と50年間行ってきた当研究所がこれと混同されたりしてたいへん迷惑をしています。


 「音象」という語の起こりは、昨年「怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか」(黒川伊保子著、新潮新書)が発行され、テレビで著者の派手なパフォーマンスがあったことがはじまりでした。 
 この書の著者は、当研究所に3年ほど、たまに出入りをしていましたが、深く研究するようなこともなく、ことばが作るイメージを、一部の五十音を単音単位で取り上げて、それに当所が開発した果実の一部に自分の主観を入れて、「これは潜在脳の機能を説くものだから文句なしに信じなさい」という内容のもの。
 そのように説く以上、潜在脳とイメージの関係を理論的に説明するのが筆者としての義務であり、私もそれを本人に求めたのですが、1年を経た今もまったく回答ありません。
 複雑な構造を持っている「ことばのイメージ」が、単音のようなラフなもので捉えられるはずがないのです。
 これについては、すでに評論家宮崎哲弥氏の書評(「諸君」04年10月号)や作家山本弘氏のウエブの掲示板に厳しい指摘があり、また後藤和智事務所のHP[若者報道と社会]では後藤氏がその暴論ぶりを論駁しておられます。心ある方にご一読をいただければと、その論文を《リンク》させていただきました。

 後藤氏が指摘しておられるように、「音象」は何の知識も持たない素人に「潜在脳」などというわけのわからぬ呪文をかぶせて、目晦ましをしているだけのものなのです。
 また、当研究所を訪ねるまで知ることのなかった「語音が作るイメージ」の存在やその構造などの教えをうけた私を前に、「これまでことばの音のイメージ研究を行なった人は、世界中どこにもいなかった。これは私が始めて行なった世界初の研究だ」(同書)などと臆面もなく広言する。学術的にも、文筆を業とする人の道義からも、ただあきれるばかりです。


 単音だけでイメージが捉えられるのはごく一部の音の、それもごく限られた範囲でしか認められない「お遊び」程度のものなのです。
 ことばが奥深くに持つイメージは、単音を構成している調音種やそれらの重なり合いから生まれる表情や、いくつかの表情語の響きあいから生まれる「情緒」を総合することにより、初めて得られるものなのです。     (木通)