日本語の美しさを作った膠着語
ことばの表情を捉える音相論が日本語にして始めて開発できたのは、日本語が微妙な表現のできる言語だったからだと思います。
日本語がもついろいろな特徴の中でも、私は膠着語(こうちゃくご)の働きを無視できないように思うのです。
膠着語とは、意味を持った「語幹」の前や後ろに、それ自体では独立した意味をもたない「接辞」をつけて一語を構成する語のことです。
それを「源氏物語」に出てくる「にほひやかげさ」という語で説明ししてみましょう。
この語は「にほひ(匂い)」という意味を持つ語幹に、それ自体では独立したことばにならない「やか」をつけ「にほひやか」として「匂うような感じ」という意味の単語をつくり、さらに「げ」をつけて「にほひやかげ」にして「匂うような感じの状態」という単語にし、さらに「程度」という意味をもつ「さ」をつけて「にほひやかげさ」という語ができています。この語を現代語にすれば、「匂うような感じに見える状態の程度」のようなことばになるのでしょうか。
意味ばかりでなくイメージの伝わり方を大事にした昔の人は、こんな配慮までしていたことがわかるのです。
源氏物語には、このほか「ものこころぼそげ」「なまこころづきなし」などの膠着語が多く見られます。
だがこのような膠着語は現代語の中でも日常多く使われています。
例をあげてみましょう。カッコの部分が接辞部分です。
晴れ(やか) (そぼ)降る雨 美し(さ) (ひた)隠す
(さ)迷う (か)細い 嬉し(げだ) (お)客
(こ)高い 田中(さん) (ま)昼 深(み)
華(やかだ) 怒りっ(ぽい) 煙(たい)
膠着語は日本語を複雑にしてはいますが、日本語でなければ表現できない情緒や味わい深さを作っていることがわかるのです。そこに日本語の深さの秘密の1つがあるのです。
日本画は西欧の絵画では表現できない微妙なものが描けるところに特徴があると言われていますが、それと全く同じような感覚で昔の人は日本語の中に膠着語を育てたといってといってよいように思います。(木通)