温泉求道家・はむれっとの別府ライフ

温泉求道家・はむれっとの別府ライフ

東日本大震災で被災し、仙台から別府に移住しました。その後、毎日温泉に入る日々です。いっちょ前に作家もどきなこともやり始めました。

もしご連絡がありましたら、onsen.hamlet2013@gmail.com宛に送信お願いします。
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今僕は、別府駅のすぐそばに住んでるんですが、
すぐ目の前に源泉掛け流しの共同浴場があります。

それが「不老泉」です。
別府市営温泉で、入浴料は100円。
ウチからあるいて1分、ほぼ毎日入ってます。

2014年8月に再建されて、とてもきれいになりました。



浴室はこんな具合です。


脱衣所から入ってすぐの湯舟(画像では奥の湯舟)がぬる湯。
画像手前があつ湯です。

泉質は単純温泉。
薄い温泉なので、普段使いに最適です。
少し鉄分を含んで、大変温まるお湯です。
浴後、湯冷めしません。
水道水を沸かしたお湯と比べると歴然です。



「ぬる湯」は概ね40℃。大変入りやすいです。
「あつ湯」は地元の人のことも考慮して、43~44℃くらい。

別府は確かに温泉のメッカで、西の横綱と言っていいのだけれど、
「ぬる湯」のある施設が少ないのが欠点だと思ってました。
僕みたいな温泉ファンは、50℃でも頑張って入りますが(笑)、
一般のお客さんには別府のお湯(特に共同湯)は熱すぎる傾向があると思います。

地元の人のための区営温泉はともかく、
市営温泉は、もう少し温度を下げるかあるいは、
不老泉のように「ぬる湯」を設けたらいいと思ってます。

そんな訳で、不老泉は、別府で数少ない「ぬる湯」が楽しめる温泉です。


毎日歩いて共同浴場に通う生活が夢だった僕にとって、
「ぬる湯」、「あつ湯」とある不老泉は、完璧な温泉と言っていいと思います。


ちなみに、僕の温泉の入り方(冬パターン)

 十分な掛け湯
→ぬる湯に5分浸かる
→髪の毛洗ったり、体を洗う。
→ぬる湯に3分浸かる
→ひげを剃る
→仕上げにあつ湯に一分。

これで完璧に仕上がります。
浴室にいる時間はだいたい30分くらいかな。
前の彼女と別れ、今の彼女と出会うまでの間、
つまり2013年の春から冬にかけて、僕がどんなことをやっていたかを書きます。

3月、自立支援センターゆぴあ(今は消滅)にお願いされて、
ホームヘルパー2級の資格を取らせてもらい、
身体障害者介助の仕事をしてました。
車いすの人の介助だったり、視覚障害者の同行支援だったり。
もともと友達のような関係で、一緒に温泉に入っていた仲間との仕事だったので、
ストレスがなく楽しい仕事でした。

同月、「おおいた演劇の会」からお声が掛かって、
『もったいないばあばと豊の花」という舞台に出ました。
2013年春から夏にかけて、週3回、夜3時間の稽古は、なかなかハードでした。

画像は本番直前のゲネプロ(本番同様の最終通し稽古)の様子です。

この舞台で僕はすっかり燃え尽き、以後、演劇からは離れています。
本当は次の演劇、「大友宗麟」も誘われていたけど、
精神的に無理だったので、代わりに歴史好きの知人を誘いました。
その彼が存分に役割を果たしてくれました。
僕が演じるよりずっと良かったと思います。

そしてその彼が、「大友宗麟」のキャストとして稽古に参加していた
女の子を僕に紹介してくれて、それが今付き合っている彼女です。
何やらかやら繋がります。
ハードな舞台をやったのも無駄ではなかったのだなぁとこんなとこで思いました。


日本一周を二度も成し遂げて、温泉の街に移り住み、
僕は願っていた夢が概ね叶ってしまって、
他に特にやりたいことも見つからず、
何だか余生を生きているような心地でした。

それで、いずれは書いてみたいと思っていた遺書的な自分史を書くことにしました。
別府在住の車いす詩人・豆塚エリ(まめちゃん)が文集を出すというので、
参加することにしたのです。
タイトルは『余生』としました。

2013年初夏に第一号が出て、これまでに第七号まで出ています。
すでに第三号までは売り切れているとか(増版する可能性もあり??)。

有難いことに密かなところで誰かが読んでくれているらしく、
僕の拙文は概ね好評とのうわさを耳にしています。

画像は第三号、第七号のものです。
一冊200円~380円で、号によって違います。
こんなブログ、ほとんどみられることはないと思いますが、
一応こちらでも注文を承っています。

onsen.hamlet2013@gmail.comまで、お気軽にお問い合わせください。

冒頭の2ページのみ、少し読めるように画像をアップしておきます。



先日、堀田温泉にある「夢幻の里 春夏秋冬」に入ってきました。
画像は「月の湯」です。
噂にたがわぬ名湯は白灰濁を呈し、中性の単純硫黄泉。
強酸性の明礬よりも浴感がマイルドな印象です。

僕などは齢39となり、だんだん冬場は脛のあたりなど乾燥するようになってきたので、
冬場に硫黄泉入りたい時には、重宝します。

ロケーションや雰囲気も素晴らしく、
彼女などは「まるで黒川に来たみたい!」とはしゃいでいました。

別府駅から車でほんの15分登ったところに、こんな素晴らしい名湯がある。
さすが日本一の温泉天国・別府です。


ブログの更新は2年半ぶりになるんですね。
お久しぶりです。
温泉求道家・はむれっとです。

まぁ、もはや誰も見てないはずですがw

さほどモチベーションが上がっている訳でもないのですが、
2年半ぶりに、ブログを再開してみようと思っています。
といっても頻繁な更新とはならないと思います。


現在の僕について書きます。

まだ別府に住んでいます。
以前住まわせてもらっていた市営住宅は退去しました。
2013年の10月の話なのでもう1年以上前ですね。

10年付き合った彼女とは、2013年の4月に別れました。
彼女は仙台に帰り、僕は別府駅の近くに移り住みました。

大変信頼できる、とある占い師さんから
「彼女と別れたら、あなたは終わります」と言われていたこともあり、
別府に移り住んだ当初は、あの子と別れることなど考えてもなかったのに、
時間が経つにつれて、心境に著しい変化が起き、
どうにも関係の継続が困難となりました。


別れは僕にとっても大きな痛手となりました。
自分で選んだことではあるのですが、人生最大の痛恨事だったと今も思います。

人生を間違えたかもしれないと思いました。
だけど不思議なことに、間違えたと思って進んだ道にも花は咲いているもので、
2013年の暮れに突如、とある女の子が現れて、すぐに僕の隣に居座りました。
お酒の大好きな子で、毎晩のように酔っ払っています。
何事も頭で考える僕とは反対の、直感型。
愛嬌たっぷりに人生を楽しんで生きるタイプです。
料理上手でいつもおいしいご飯を食べさせてもらってます。
酒好きの子と付き合っても、僕はやっぱり全くお酒を呑みません。

前の彼女と別れて2年あまりが経ち、それでも僕は生きている。
この後、どう展開するのかは知らないけれど、
生きている限りは生きようと思っています。


今の彼女と出会う前、人生を締めくくる覚悟で『余生』という、
遺書的自分史を書き始めました。
別府在住の車いす女子・豆塚エリ(詩人)編集長が発行する文芸アンソロジー、
『こんぺきのこんぺいとう』という文集で発表しています。
死ぬまでに書き留めておきたかったことを、仔細に書いています。
今、僕がいちばん心血を注いでいる事柄です。


別府に住み始めてからというもの、温泉に対する興味が急激になくなりました。
ウチから歩いて一分の場所に、不老泉という素晴らしい共同温泉がある。
力強い掛け流しの温泉が豊かにあふれて。
もうそれでいいじゃないか、それで十分だと思ったのです。

もともと僕は、いつか共同浴場のそばに住み、
毎日通いながら生活したいと思っていたので、その願いが叶ったのです。
これ以上、温泉に求めるものはハッキリ言ってありません。
あとはごくごくたまに、硫黄泉や炭酸泉に入れればもう十分。

なので、温泉めぐりもほとんどしていません。
知人が別府に遊びに来たときくらいですね。
温泉道のスパポートにスタンプを押すのは。
それでいいと思っています。

これまでの温泉経験を生かして、たまに温泉の講師をさせてもらってます。
有難いことになかなか好評のようです。


こんな感じでしょうか。
久々なので長くなりました。
まぁ誰も読まないとは思いますが、
これから細々とブログも更新して行けたらと思ってます。
月曜の夜は、毎週、決まったサイクルで動いている。
早めに夕食を食べ、20時からミニバレーボールを2時間楽しみ、
汗だくの体を「幸温泉(100円)」で流す。

この決まったサイクルが、この頃ひどく心地いい。

夕方前に通り過ぎた台風は別府に大雨をもたらした。
その影響で「幸温泉」は薄墨色っぽく濁っていた。
普段は無色透明なのに。この辺も温泉の不思議なところである。
そういえば、夕方に入った「芝居の湯」も同じように薄墨に濁っていた。
いったい何がどうなってそんな風に濁るのか。
そういう原理には興味がないけれど、そんな風な温泉の変化は楽しいものだ。


さて、挨拶がすっかり遅れましたが、ブログ上では大変お久しぶりです。

4月25日に別府を出て、2泊3日を掛けてはむワゴン(ハイエース)で仙台まで戻り、
しばらく地元でのんびりして、5月下旬から東北をぐるりと回り、
6月8日に北海道を渡った後、約40日掛けて北海道を一周しました。

東北へ戻った後は、今しばらく地元・仙台に留まり、8月の頭に仙台を出ました。
群馬で、盟友のはむワゴンとお別れし、
それからは青春18きっぷを使い、鈍行を乗り継いで、ひたすら別府まで戻ってきました。
戻ってくる間に、飛騨高山の友人宅に連泊し、甲子園で夏の高校野球を観戦したりしました。
別府に到着したのは8月16日の話で、あれからちょうどひと月が経ったという訳です。

かなり大雑把に書けば、僕のこれまでの数か月はこんな感じでした。

今は、日本2周目の旅もすっかり完結し、なんだか空っぽの「ゼロ」という状態です。
日本2周目ブログを書こうと思いながらも全くその気にならず、
ずっと放置したままの状態です。

まぁいずれ近いうちに書き出すと思います。
別に誰が待っている訳でもないと思うので、そこはのんびり考えています。

とりあえずは大変遅ればせながら、はむ、別府に戻ってきております、という報告まで。