「遅くなってはいけないので、出かけましょうか」
フレデリックは、私にヘルメットを渡した。それを受け取り、頭に被ると彼が乗ったバイクの後ろにまたがった。
物件を見学に行くときにバイクで連れて行ってくれるのは、私が知る限りではパリだけだった。日本でも、他の国でも物件を見に行く時は不動産会社の車か直接現地に集まるかのどちらかだった。パリに来て以来、彼の会社で物件を紹介してもらっていたので、フレデリックは私がまだフランス語を話せない頃を知る数少ない人間だった。
「日本文化には敬意を感じます」
物件の見学で会うたび、日本の国とその文化を良く褒めた。彼の妻は日本人だった。
良さそうな部屋があると連絡があり、見せてもらったのが最初にパリに来て15日ほどたった頃だった。想像していた部屋とは違っていたが、住み心地は悪くなさそうで、その部屋を借りることに決めた。
私が銀行口座を持たないことにはパリでは部屋を借りられない。口座の開設を手伝ってくれたのがフレデリックで、忙しい時間を割いてよく面倒をみてくれた。それから世間話や家族の話をするようになった。
「日本人と友達になりたくて日本語を習いましたが、習いに来ているのはアニメおたくばかりのリセアンばかり。彼らの習得スピードにはついていかれなくてやめました」
「でも、奥様がフランス語をお話になれるなら問題はないですよね」
「確かに、彼女のフランス語は私の日本語より何十倍も上手いですからね」
「実は知りたいことがあるのですけれど」
「何でしょうか」
「パリでは物件の見学をするのにお客さんをバイクでお連れするのは普通なんですか?それともあなただけがしていること?」
パリに来るまでバイクの後ろには乗ったことがなかった。初めてバイクの後ろに乗ってみると、運転中の振動やブレーキの関係で、運転手の臀部に自分の股の内側が自然と触れることが多いのがわかった。物件の見学とはいえ、よく知りもしない男が運転するバイクの後部座席に乗るは、最初はやはり抵抗があった。好きな相手なら嬉しいものだろう。でも、そうでなければ相手はまさかわざと臀部を後ろにしているのではないだろうかとか、自分の意識が過剰なのだろうかなどあれこれと考えをめぐらすことが面倒だった。けれども一回の物件見学で複数の離れて位置するアパルトマンを見せてもらえるときには、待ち合わせ時間を短縮できるバイクでの移動はとても便利だった。だが、日本人の自分だけ特別の扱いであるなら、複雑な気がした。
「いえ、私だけではなく、この街の不動産会社では割と普通に行われています。昨日もアメリカ人を見学にバイクでお連れしています。私も、お客さんが待ち合わせ場所がわからなくて待たされるより、バイクでお連れすれば物件をゆっくり見てもらえるので、お客さんが嫌がりさえしなければ、バイクで行くことを提案します。嫌がる方も多いので、お客さんに任せていますが」
フレデリックは言葉を続けた。
「パリはゲイも多い街ですからね。一度、お客さんをマレのアパルトマンにご案内したことがあるんですね」
「なぜ相手がゲイだってわかるんですか?」
「それこそバイクでお連れしたところ、両腿を最初から私の臀部にくっつけてくるわ、走行中は背中から腹に両腕をしっかりとまわされて肩に頭を載せられれば、嫌でも誰だってわかりますよ」
笑いながらも、ホモではないので困りましたといい、頭をかいた。
「その方の見学は結局どうなったんですか?」
「決まりました。家賃が高い物件だったので、我慢して仕事をした甲斐がありました」
つづく ...。