坐禅においては…
極地は”無”になることであろうか。
「何も考えない」
というようなところには至ったことがない。
坐りが足りないと言われればそれまで
なんだが…。
坐禅では雑念を捨てること、
雑念を息とともに吐き出す。
雑念だらけの自分は、吐き出しても
吐き出しても浮かんでくる。
さらに吐き出せずに思い浮かんだ雑念を
追いかける…
「お腹空いたな…」
「何食べようかな~」
「ラーメンにしようかな~」
「どこのお店にしようかな~」
「やせなきゃいけないから、大盛りにするのはやめよう」
とか…雑念の深堀をドンドン深めていってしまいます。
そして、最近行っている、西田文郎先生が
おっしゃっていた「六方拝」。
東に親・先祖
西に家族
南に師
北に友人
上・下に自然・大地・地球
六方に感謝する。
色々な人の顔を思い浮かべながら。
師で言えば…
高校時代の野球部の監督だったり、先生だったり…
写真の顔しか覚えてなかったりするけど、
小学校の先生や幼稚園の先生…
「今どうしているだろうな~」
とか、一人を思い出すと、
「そういえば、あんな先生にもお世話になったな~」
とか、
色々と感謝が連鎖、連想していく。
ちょっと幸せな気持ちにもなれるし、
無駄な「思考のゴミ」が浮かんでもこない。
坐禅とはちょっと違うけど…
「自己をわするる」
ということのできるいい時間です。