ここ数日大きな話題を振りまいた長野で開催された

聖火リレー。

いろいろあったけど、とりあえずは無事にバトンをつ

なぐことができたという点では、良かったのでしょう。



ただ、なぜこんなに”騒ぎ”になってしまうのだろう…。



あそこに集まっている人は、本当にみんな”志”という

か、”信念”をもって集った人たちだったのだろうか…。


卵を投げつけた人…

何を主張したいのか、全くわからない…。



チベットの人たちにしても、本当にそれが主張したいこ

とを適した方法で主張できているのだろうか?



自分たちが血を流すならまだしも、相手に血を流させ

てまで主張することが、チベット仏教の教えなのだろ

うか…。


ダライ・ラマの温和な雰囲気からすると、何か今回の

一連の騒動は、残念な気がしてしまう。


ガンジーのような…って、ヒンズー教になってしまうけ

ど、暴力に訴えない…そんな姿の方が適しているの

ではないだろうか。



聖火ランナーに向かって飛び出してくる…

そんなことしないと、訴えられないのだろうか。



本当、長野市民のみなさんも含め、いつの間にか

ランナーや現地の人たちのものではなくなってきて、

”外野”の騒動が主役になっているところが残念です

ね。


それでも、北京五輪では選手が自分たちの本分…

競技を一所懸命に行ってくれて。外野は外野として、

我々に感動を与えてくれることでしょう。



本当にやるべきことをやってこそ、人の心に何かを

訴えることができる、感動を与えられるのでしょう。