今日から九州→大阪と旅行です。

本日はメインに鹿児島の知覧平和特攻会館 に行ってきました。

今晩は城山観光ホテル にて宿泊。鹿児島部屋

シングルで申し込みをしているものの、

「シングルが空いていなかった」

との理由で…たぶんそうではないと思いますが…

ダブルの部屋になりましたo(^▽^)o


またみなさんに、

「一人でダブルだなんて・・・」

といわれてしまいそうですが…。



広いけど、景色が…わずかに港が見えるくらいで、

他は、フロント階の屋根しか…。




羽田空港は土曜ということもあって人がいっぱいです。

小岩から直通のバスで行きましたが…

途中写真撮るかも…と思い、かばんから出していたら、

写真をバスの中に忘れてしまいました…

慌てて引き返し、係りの人にバスと連絡とってもらって…

事なきをえましたが、いきなりの冷や汗…

羽田



鹿児島空港で車を借りて…知覧銅像

知覧一口


左の写真は平和会館の入り口。

右側は外にあった特攻隊員の銅像と飛行機です。

なんでしょう…外の段階から、心に何か来る…

霊感があるわけではないので、そっちのものでは

ないと思いますが、物悲しさがその場にいるだけで

感じてきました。


                        

鐘楼 このような場所もあり…ここの物悲しさをさらに

                            強く感じられます。



今回、ここに来たのは、大本は尊敬する中村文昭さんの

講演のなかで、成人の日に成人式ではなく、ここに

きた(行かされたというのが正しいでしょうが)という話を

聞いて、初めて存在を知り、自分も行ってみたかったから。



そして、若くして散った命の”覚悟”を感じて、今の自分の

覚悟のなさを何か変えるきっかけともなれば…

と思ってきました。



でも、感想として…そんな部分での何かを感じることは

ありませんでした…。

強く感じたのは…

★親への感謝

★あなたたちが命をかけて守りたかったこの日本を

 今いる我々が想いを継いで、よくしていきたい!

との2つ。


もちろん、彼らへの感謝の気持ち…いっぱいいっぱい。



3時間ちょっといましたが…

疲れました…

体力的にというよりも、精神的に…心が…

痛くて痛くて…切なくて切なくて…



きっと多くの切ない、悲しい想いのつまった場所なのだから

だと思います…入った途端に、一気に”何か”が入ってきた

感じがして、胸が詰まりました…危うく泣きそうになりました。



展示されている遺書見初めてからは…もうボロボロ…しょぼん

アメリカへの怒りを書くものもいたり、天皇賛美のことを書いたりして

いる人もいますが、多くはやはり残される家族への言葉…



途中語り部さんのお話を聞きましたが、

みんな遺書では気丈なことを書いているが、

前日の夜などには、布団かぶって、マクラがびっしょりになるほど

泣いている人もいたそうです。



そりゃそうですよね…

17歳から22・23歳くらいの人がほとんど…

もう大人とはいえ…やはり怖いし、オカンが恋しいよね…



遺書にはたくさんお母さんにあてた言葉が書いてありました。


「わざわざ長い旅をリュックサックを背負ってきてくださった

 お母さんを見、何か言うと涙が出そうで、つい、わざわざ

 こなくても良かったのに等と口では反対のことをいってしまった

 りして申し訳ありませんでした。

 あの時お母さんと東京を歩いた思い出は、極楽へ行ってからも、

 楽しい懐かしい思い出となることでしょう。

 あの大きな鳥居のあった靖国神社へ今度新平が奉られるのですよ…。

 手をつないでお参りしましたね。」


リュックを背負って息子に会いに行った…

強がっている息子と最期になるかもしれない散歩を楽しんだ

母親の気持ち…

素直に嬉しい気持ち

「きてくれてありがとう」

「生んでくれてありがとう。あなたの子供でよかった」

と言えない新平さんの気持ち…



動けませんでした…。


多くの人が

「20余年の間お世話になりました。」

とともに

「迷惑ばかりかけて」

「親孝行を何もすることができず」

とか侘びの言葉が入っていました。



もっと親を大切にしなきゃ…



子供にあてた遺書もあり、

「オウマさんにはなれません」

と書いてあったりもしました。


また、好きな演劇のthe winds of god では継母ではなく、

継父…とは言わないけど、

「最期まで”お父さん”と呼べずに…」という遺書を書く人が

いましたが(最後は破いてしまうますけど)

実際に、継母さんへ

「最期まで”お母さん”と呼ばざりし俺(中略)

 母上お許しください

 さぞ淋しかったでしょう

 今こそ大声で呼ばせていただきます

 お母さん お母さん お母さん」




これらが、演劇だったら「感動」で済みますが…

事実…悲しいことです。

戦争の仕方が変わって、こんな特攻隊というものは…

まだ自爆テロがありますけど…

同じ悲しみを増やしてはいけないです!!


散る人も残される人も……そんな想い増やしたくないです。




書ききれません…本当筆舌しがたいとはこんなこと。

ぜひ、遠いですが、行ってみてください。

たくさん若い人も(ツアーの一環で仕方なくという人もいた感じですが)

いて、嬉しさ感じました。

カップルで来ている人たち…素敵や!そんな付き合いできるっていいですね!



泣き疲れて、遅い昼食を…昼食

とんかつご膳!!1250円。

とんかつがあって、ご飯があって、ラーメンまで

あります!デブ垂涎の逸品!

味は…まぁ不問。

食事できるだけでも、ありがたいことです!



ただ…店員さん、大きな声で

「とんかつご膳のラーメンは?」

「あれ?ソバじゃなかった?」

……とんかつが冷たくなるわけです。

そんな会話聞かせないでくださいな。


ちなみに、これだけ食べたので、夕飯は抜きですよ!



食事した知覧茶屋の入り口にあった看板

知覧茶屋





道路

知覧の武家屋敷には時間的にと、雨なのもあって、行かずに

開聞岳を目指してドライブ。南国らしい道路です。開聞岳

肝心の開聞岳は…


裾野しか見えません。


特攻隊の人は、コックピットに入る時、

最期の一足が地面を離れる時

「もうこの大地を踏むことがないんだな…」

という想いにかられ、


飛び立ってすぐに開聞岳敬礼し、

何度も何度も沖縄に向かいながら振り返ったそうです。

開聞岳見えている間は…

「今戻ればまた生きていられる。

 親にも会える…」

などの想いが巡ったそうです。


開聞岳見えなくなったら腹を決め、

グッと口を真一文字に結んで、敵艦目指して…




遺書の中に、

「人生50年というけれど、今は人生20年ともいいます

 自分は4年も多く生きられて得しました」

みたいな言葉もありました。


命大切に、一日一日大切にしないと、

生きたくても生きられなかった彼らに申し訳ないですね…。




たくさん泣いたので…帰りの運転がすごく眠かったです…看板

そんな中…



ん…幹部がいっぱいいる派出所なのかな?

幹部がいるのって、本署とかじゃ…。



にしても、鹿児島の人たちは運転が

おだやか…のんびりです。

40キロ道路で、40キロ弱…珍しくないなんて…。




明日は湯布院目指してレッツゴー!