8【エラーコイン】

五円玉の穴を通して、世界を覗く。

なぜだろう、くっきりはっきり。
細かいところまで見えたの。

手を差し伸べれば、遠いところにいる弟にだって、指先が触れる、と。

たしかに、そんなふうに思っていたんだよ。

・・・・・・

昭和34年。

梅雨。

たくさんの紫陽花が、肩を並べる遊歩道。

脇には崖が連なる。
反対側に張られた金網の向こうには、国鉄の線路が無数に並ぶ。

東京都北区。
飛鳥山。

崖の斜面には遊歩道もあり、小さな滝壺まであった。

夏になると、おたまじゃくしや、ニホンザリガニが姿を見せる。

わたしは、辺りに人がいないことを良いことに、靴下を片方だけ脱いで、小さなザリガニを押しこみ、逃げるように駆け出した。

「悪いことをしている」と、思った。


弟には、障がいがあった。


彼はひとり、庭にある離の土蔵の中で暮らしていた。

食事など、必要最低限の世話のときだけ、父か母が土蔵に入っていくのを見ていたが、わたしは立ち入ることを許されなかった。

入り口の扉と反対側にある小さな窓には、鉄格子が並んでいる。
紙切れみたいな薄いガラスに、月明かりが揺れていた。

わたしはよく、その窓の下の壁に背をつけて、夜な夜な、弟を呼んだ。

鍵のない窓を弟が開けるとき、カンナで削り出すような擦れる音がした。

両親に見つかりはしまいか、気が気ではなかった。

昼間捕まえたザリガニを靴下に忍ばせたまま、息をころして、力強く鉄格子の隙間から放り入れた。

今日一日、わたしがなにをしていたのか、ひっそり喋り続けた。

ちゃんと聞こえていたのか、わからなかったけれど。

冷んやりとした土壁の向こうで、弟が耳をそばだてていることはわかっていたから。

日中は真夏のように蒸し暑かったこと。

車道を悠々と走る都電荒川線の黄色い車両を追いかけ回したこと。

駅前の傷痍軍人たちの欠けた身体を見て、弟を思い出したこと。

家の前のタバコ屋で、片腕のおじさんにお使いのご褒美にガムを貰ったこと。

あとね。

お駄賃を入れたがまぐちの中に、穴の開いていない五円玉を見つけた。

弟は、真ん中に穴が開いている五円玉を見たことがあるだろうか。

その夜。

わたしは、その五円玉を鉄の格子の隙間へ投げ入れ、自室へ戻った。

弟が

「お姉ちゃん!」
「お姉ちゃん!」
「お姉ちゃん!」

と、叫んでいたような気がしていた。

・・・・・・

数日後、警察がきた。

わたしたちの両親の名前が、全国紙の社会面に名前が載った。

・・・・・・

昭和34年の「私宅監置」による患者監禁事件の実話を元に、この歌を作りました。

・・・・・・


「エラーコイン」

石段駆け上がる跨線橋
空へ伸びる線路
見下ろせば見たことない窓明かり
頭垂れて眠る桜の碧
肩並べる紫陽花
小さな滝永遠の居眠り水音

揺れる木陰を縫って
踊る片足のアマガエル
鼻歌でわたしを窺う
片腕の黒いザリガニ
秘密は脱いだ靴下に包んで投げ入れた

五円玉
穴の中にぜんぶ詰め込めた昼下がり
まぶた閉じれば彩られた世界なのに

爆弾を積まない飛行船
砲身のない船
校庭に消えたいつかのジープの轍
タバコ屋でわかばとロッテガム
利き腕のちぎれたシャツ
焼け爛れた歌声 駅前ラッパの涙

空襲警報代わりに空で首傾げるアドバルーン
錆びついたペダル
路面電車追いかけ追い越して
秘密は脱いだ靴下に包んで投げ入れた

五円玉
穴の中にぜんぶ詰め込めた昼下がり
まぶた閉じれば彩られた世界なのに

五円玉
穴の中にぜんぶ詰め込んだ夜長に
鉄の格子を跳ねて躍る月を追う

お父さん
お母さん
お兄ちゃん
お姉ちゃん

お姉ちゃん
お姉ちゃん
お姉ちゃん
お姉ちゃん!


#弾き語り #シンガーソングライター 
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