昨夜は満月でした🌕
外は寒かったのですが、2階の窓から綺麗なお月様を眺めて👀幸せな気持ちになりました
実は私、三連休前に胃腸炎になってしまいました
遂に寒暖差に負けました
幸い熱は出ませんでしたが
まだ咳が残っています🥵
次男が作業所施設へ行っている間に消化器科内科へ点滴に通っていました🏥
この病院はいつもすごく混んでいますが、常勤・非常勤ドクター👨⚕️👩⚕️6〜7人くらい?いますし
何より院内処方箋ですぐにお薬を出してもらえるため💊
迷わずその病院へ行きました🚙
もちろん1人で
洗面器とビニール袋持参で通院しました🚙💦
点滴受けているとすっかり病人
でも胃が楽になると気持ち良くて眠ってしまいました
(私もどこでも寝られる人です笑)
血管が細いので注射針が入りにくいため、内出血の跡が数日消えません。
でも病院へ行ったおかげで、やっと吐き気も治りすっかり楽になりました
まだ咳だけが残っている
胃腸炎になってからは、消化の良いお粥を食べています🥣
白菜、もやしなど野菜を入れて🥬
でも栄養も摂らないと力がつかないので、卵を入れたり🥚
とにかく早く治りたくて〜
昔、次男の世話で心身共に弱っていたためか?しょっ中胃腸炎になって、洗面器とビニール袋持参で救急夜間外来へ行っていました
夫はお酒を飲んでいるため自分で運転するしかなくて
今回は、看護師さんに「息子のお迎えに間に合う様に(点滴を)お願いします」と頼んだところ、点滴を受けている間にお会計とお薬を用意しておいて下さいました。
本当にありがたかった
昨年から我が家のお米は無洗米を使っています🍚
普通の主婦にしたら「え?勿体ないわー」ですよね〜
きっかけは夫が間違えて無洗米を買って来てしまい…
ところがこの無洗米、あまりにも楽すぎて、それにお釜も傷まない、しかも美味しい
以来ずーっと無洗米を使っています🍚
そもそも我が家は現在3人暮らし
ご飯は大好きですが、たくさん食べない
1〜1.5合、たまに2合しかご飯を炊かないのです。
次男が幼少期から白いご飯が苦手(カレーライスや炒飯以外)麺類しか食べないという偏食があるのです。
今日もご飯は食べず
長崎風ちゃんぽん麺🍜
野菜たっぷりの次男の夕ご飯🍚
次男は太っていますので
一人暮らしの長男も、大学生の頃から現在も無洗米を使っています。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
さて今年2月6日
世界のオザワこと小澤征爾さんが亡くなられました。
「小澤征爾さんの生演奏、結局一度も聞く事が出来なかった!」そう言われる方々が殆どではないでしょうか?
私も10代〜20代の頃(結婚してド田舎に嫁いでくるまで笑)は、わりと都心に近い所に住んでいたため、有名な音楽家のコンサートへ行く機会はとても多かったのです。
しかし、日本では小澤征爾さんのコンサートはありませんでした。
小澤征爾さんは日本でコンサートをしなかったのではなく、出来なかったのです。
心のどこかでは、日本でもコンサートをしたかったのだと思います。
しかし、N響と和解出来るまでの31〜32年の間は…
小澤征爾さん、日本ではコンサートのお仕事が全くできなかったのです。
N響事件
ネットで検索すればいろいろ出て来るでしょうが、私が知っている事を大まかに書いてみます。
小澤征爾さんは、幼い頃からピアノや音楽を学び、桐朋学園短期大学で指揮を学び
指揮者コンクールで見事1位優勝🏆🥇
当然のごとく日本の名門N響の指揮者として採用されました。
N響と言えば、今でも音楽だけで食べていける名門オーケストラだと言います。
ただ、昔のN響には昭和の古い考えがありました。今でもエリートの集まりと聞きますが、あの当時は更にお堅い体質だった様です。
楽団員の殆どが東京藝大出身
小澤征爾さんは桐朋学園出身
まだ20代とお若い
天才肌の小澤征爾さん
あの頃から、指揮棒を持たず手で指揮をされていました。
そんな小澤さん、N響には受け入れられなかったそうです。
今で言うパワハラ的な事があり、ついにはN響を追い出されてしまった。
そう辞めさせられてしまったのですね。
挙げ句小澤征爾さんは日本で活躍することが出来なくされてしまったそうです。
何とか話し合いを試みるもN響やNHKには受け入れてもらえず、心身ともにお辛かったと思いますが、表立って恨み事を言うことなく、N響全メンバーから総スカンを食らいながらも明るく振る舞ったりと、ポジティブ思考だったようですね。
指揮者ですから、頸椎(首)を痛められたりしたことを責められたり、遅刻だなんだと濡れ衣を着せられたり今で言うパワハラを受けて、挙句リストラされてしまいました。
そうして活躍の場を海外へ移したところ
なんと!カラヤンの弟子として認められます。
ボストン交響楽団 音楽監督
ウィーン・フィルハーモニー 音楽監督
海外では大活躍をされました。
しかし、日本では全く仕事が出来なかったのです。
N響事件から31〜32年経った頃
N響側から和解したいと言われ、ようやく日本でも活躍できる様になるも
海外でのお仕事もありましたし
小澤征爾さんは病に侵されてしまいました。
ほっとするがあまり病気になってしまわれたのでしょうか?
あれだけの事があったにも関わらず
ポジティブ思考の小澤さん、本当に素晴らしいです。
小澤さんは日本人ですが中国生まれ。
子供時代から日本で音楽に親しみ、ピアノと指揮を学んだ方です。
きっと日本に対していつも心のどこかで望郷の念をお持ちだったのではないかと?私は思いました。
N響事件から31〜32年の年月が流れ、N響とようやく和解、日本で指揮活動をする事が出来きる様になりました。
最期は、日本へ帰って来られて本当に良かったですね!
長野県松本市で活動されました。
嬉しかった事でしょう。
小澤征爾さん、晩年は日本で指揮が出来て本当に良かったなぁ〜と思いました。
N響事件では大変お辛かったでしょうが…その辛さを乗り越えたからこそ
カラヤン氏に認められて弟子となり、海外で活躍されたのです。
日本で指揮が出来なくてお辛かったとは思いますが…
さいごの最期は日本人の楽団員さんと共に演奏が出来ました。
弦楽セレナーデ1楽章のみ
ありがとうございます
小澤征爾さんの曲で、私が一番大好きな曲です。
なんだか悲しかったり辛かったり、元気が欲しい時、この曲が聴きたくなるのです。
チャイコフスキー
「弦楽セレナーデ」
曲の初めにサビ、カデンツが来る
この様な曲調を強奏というそうです。
クラシック音楽にお詳しい亡きブロ友kさんに教えて頂きました。
初めにパンチが来て心が揺さぶられる感動的な曲です。
オーケストラのメンバーほぼ全員日本人でした!
小澤さん、やはり嬉しくて感無量だったと思います。
本当に良かったですね。
病気のお体で1楽章のみの演奏となりました。
椅子に座ったりしながら「本当は立って指揮したかったなぁ〜」と言われて…
もう命掛けだったのだと思います。
この弦楽セレナーデ
初めの強奏もとても感動的ですが
7分50秒辺りクライマックスも
また最高に素晴らしくて✨
感動していつも涙が出てしまいます
チャイコフスキー
『弦楽セレナーデ』
演奏は1分半くらいから〜始まります。
渾身の1楽章のみ演奏!
指揮 小澤征爾
演奏 サイトウ・キネン・オーケストラ
ご冥福をお祈りいたします✨