続きです















母が亡くなった日はこの季節には珍しい大雨でお通夜の時もかなり降っていて雨音とお寺さんのお経の共演の様でしたが翌日は風は強かったけどお天気になって良かったニコニコ


家族は早めに準備してくれて実家へ向かい父を乗せて会館へDASH!


到着後控室へ案内されて私と妹は会館で用意してくれたのし袋にお金を分けて入れて確認


その間娘が「メッセージカードあるから書くわ」と言って姪っ子達も書き出して私と妹も書いた


お寺さんお越しになられたのでお盆に並べたお布施を渡して今後の話とか墓じまいの相談とか少しはなしてホールへ移動


告別式は30分程で終わり母と最後の対面をしてそれぞれお花とカードを入れて寝台車と同じ車が霊柩車になり先頭に、お寺さん各自の車の順で斎場へ移動DASH!以前はバスに全員乗ったよね


同じ区に斎場があったのを今回初めて知りました

主人の父や祖母の時は待機出来る会場もある市内の大きな所だったけどこじんまりした所ですぐ側にマンションがあってびっくりびっくり


母と最後のお別れをしてホールへ戻り食事してまた斎場へ行きお骨を拾ってホールへDASH!


骨壷も最近は喉仏さんを入れる小さい壺だけ購入してる方が多いそう、うちのお隣で収骨されてる方も小さい骨壷でした


初七日の法要をして頂き2日間にわたる母のお別れは無事に終了となりました


実家に帰って来たのは17時過ぎあせる

母、4年ぶりに実家に帰ってきました





役所の手続きも急ぎは終わり書類が届き次第追々やっていきます


次は施設の母の部屋の荷物の片付けかな

後少し頑張らねばニヤリ









母、82歳でした。

今年に入ってからよく転倒すると連絡入り4月から食べれなくなり、持病の糖尿病のせいで老衰の進行は他の人より早かったそうです。


私が最後に会った時は肩で呼吸してたまに止まったりしてたけど夜ケアマネさんが母の様子を見に来た時は安定した呼吸をしてて夜勤の人が見た時に呼吸止まってたけど安らかな顔してたそうですあせる


コロナが流行った時期に入所して施設に入った頃は私達に会いたいと施設の方に言ってたけれど面会不可でその内認知が進んだからか、諦めたのか言わなくなったあせるお正月に家に連れて帰りたかったなあせる


半年に一度の大きな病院の付き添いの時だけ会えたけど最初は怒りっぽくてその内「早く帰らんでいいんか?」って心配してくれたり会話も短く受け答え出来なくてこっちが一方的に話してたなショボーン




最後は私達の予定を考えてちゃんと見送り出来る日を選んでくれました

GWも終わりで仕事も暇になる時期に休める様に、私が行きたかった名古屋にも行ける様に逆算して、妹と娘が初めて2人で観劇する日(5日)も頑張ってくれたあせるありがとうあせる



子供の頃あまり可愛がって貰ったり私の話を聞いたり相談に乗ってくれる母ではなかったし、上から目線の人だったから常に母の顔色を伺ってたし父や父の親戚の愚痴を聞かされるのも私だったからあまり好きではなかったけれど結婚して子供が産まれてからは子供達を凄く可愛がってくれて息子が体調不良で実家から通える単位制高校に転校して卒業出来たのは母がいたから。


それがなかったら両親の老後のトラブル対処や介護出来なかったかもショボーン




余談ですが用事で職場へ昨日行った時同僚と少し話してお寺さんを頼まない話をしたら「うちのお父さんも呼ばなくていいって言ってて自分で写真とクリスタルのお位牌を用意して今の名前(俗名)が気に入ってるからそれを彫って欲しいって言ってます」ってお経のテープも用意してるからそれを流してくれたらいいと言ってるってびっくり


会館の方が言っていた6割の方は無宗教でお寺さんを頼まないって言うのホントなんだなと思った瞬間でしたびっくり








3回に渡り母の見送りを記録させて頂きました





お付き合いありがとうございましたラブラブ