公認会計士試験。
その最終である論文式試験(8月実施)の結果発表が今朝、9時にあった。
同期の受験生仲間は前日からそわそわしっぱなしで、集まって宅飲みしている中。
僕はと言えばそのお誘いを断り、ゆったりと睡眠を取ってから米ドラマを見て、昼食を作り、英語や筋トレをして、軽く小説を書いてクソして寝ました。
むしろ親の方がそわそわしてましたね。鬱陶しいくらいに。
そんな平凡な一日が過ぎ
明日受かっていたら、どんな風に家族や友人に伝えよう。
ちょっとふざけてみるか。別になんでもないけど、みたいな格好つけた感じで言ってみるか。
そんな事を考えながら、眠りについた。
少しだけ、落ちたときの事を考え、不安が過った。
翌8時半、ニート生活で定着してしまった二度寝の誘惑に打ち勝ち、無事起床。
合格する夢を見た。
ゴミを出すべく外に出てみると、結構肌寒くて震えた。
フードを目深に被って、雲一つない空を見上げた。いい天気。
部屋の暖房をつけ、PCの前に腰を下ろす。
あとは座して天命を待つのみ。
9時。金融庁のHPを確認。
羅列する受験番号の中から、右手に握った自分の受験票に印刷された六桁の数字を探す。
目で追う数字が近づくにつれて、周りの音が聞こえなくなっていった。
緩やかに鳴り続ける心臓の音だけが脳に響く
上四桁が一致する数字が並びはじめ、
残りの下二桁を目でなぞる。
かつてこれほどに”68”という数字を強く意識した事はなかったし、これからもないだろう
やがて、たどり着いた数字は62。
その下は、70だった。
受験票を横目で確認し、六桁の数字を再確認する。
もう一度見るも、その列には自分の番号がない事を認識した。
認識してしまった。
思考は予想よりも冷静に稼働を続け、感情は波立つ事もなく静寂を保った。
脳内では会計士の道を諦める選択肢と、もう一年頑張ってみる選択肢を精査し始めた。
同時に、別の部位では親や友人への報告の億劫さに気を萎えさせていた。
「あー、マジか」
試験の出来を考えれば、とても受かったと確信するには至れない。
良くて50%程度。コイントス程度の期待値。
それでも、何となく受かっていると思った。
それは確信だった。
世界が自分を中心に動いていると確信しているように。
思いと言葉は形となり実現するように。
三日前は麻雀で7巡目にして国士をあがった。今週はツイていると確信した。
友人のお土産の祈願達磨に、丁寧に左目を書き込んだ。合格は約束された。
受験仲間の誘いを断った際、「合格してから会おうぜ」と宣った。揺るぎない前提にすり替えた。
筋トレの後、瞑想にて世界と同化する感覚を得た。結果を合格に書き換えた。
単身赴任していた父親が帰ってきた。短答合格時に真っ先に知らせた相手だ。勝利の女神と同等の存在である。
前夜に記した短編小説は、合格発表を待つ自分を投影した作品となった。結果をハッピーエンドにした。
友人に受かっていると言われた。みんな受かっているさと返した。言葉の鎖で縛りつけた。
落ちていたらという想定をほとんどしてこなかった。する必要がなかったから。
運試しにポーカーでオールインしてみた。問題なく勝つに至った。運は少しも落ちてない。
目覚ましの曲は学生の頃によく聞いていた、お気に入りの曲にした。それは始まりの歌。
などなど。
精神異常とも言うべき自己暗示、洗脳のような思考の元、計20以上の成功フラグを立てた。
故に合格には自信があった。
やや愕然としつつも、現実の受け入れに思いのほか大した感慨が沸かない事を疑問に思った。
心のどこかで、やっぱりか、とか思っていたのかもしれない。
思えば、確かに勉強時間は足りていなかったようにも思う。
合格者の平均勉強時間を算出したとして、その8割に満たないであろう事は自覚しているくらいだ。
後悔しているか?と自問しながら画面を眺めていると別の事に気が付いた。
受験番号が、横に並んでいた。左から右に向かって数字が増え、次の行に移る。
てっきり、左端から縦に列で並んでいるものだと思っていた。まだ見ていない部分が存在していたのだ。
おや、と思いもう一度数字を追った。
62の横には、数字が四つ並んでいる。その後改行して、70になるのだ。
62の隣は、65だった。残る番号は66,67,68,69、空きは四枠。その計算をほぼ0秒で脳は処理した。
口角が無意識に上がった。
62、65、66、68、69
あった。
受かった。
受かってしまったのだった。
まず、ため息が出た。
ひと段落ついた安堵と、これからの憂鬱を思って。
そして目を閉じ、嗤った。
確信を現実へと変えた全能感と、困難をクリアしてしまった虚無感に。
最後に、笑った。
不合格だった時の想定がすべて杞憂で終わった事に。
親は泣いて喜んだ。
祖母も電話越しに泣き崩れたのが分かった。
父はメールで柄にもなくスタンプを連打して喜びを表した。
友人たちは、みな祝ってくれた。
誇らしさを感じながらも、これが夢オチだったら最悪だなぁ、なんて思った。
集まってみると、受験生仲間は皆合格していた。
昼間から酒を飲み、すぐに始まる就活の話をしながら、各々届いたお祝いメールに返事をする。
喜びを分かち合い、じゃあまたと拳を合わせ、別れを告げた後に思ったのは、
どうやら少しばかり期待しすぎたみたいだという反省だった。
もっと嬉しいものかと、思っていたから。
達成感はなかった。頭の靄は晴れそうにない。
喜びもさほどなかった。特に何かが変わることもない。
思い返してみれば、言うほど頑張らなかったように思う。
怠惰な日常の中で、特に意識もせず何となく机に向かう。
それでここまで来てしまった。友人のように熱い夢もなく。死に物狂いという経験もなく。
そんなんで、喜びは得られるか。幸せの実感はあるか。
悲しいかな、それらは贅沢なご褒美であって、資格がないと得られないようだ。
なるほど。要は、結果が大事とはいえ過程も大事なのだ。
合理主義的な考えだけでは、得られないものがある。
ならば次こそは。
努力するべき時は努力しよう。精一杯。
と、決意を新たにして。
僕の会計士受験の戦いは幕を閉じたのであった。ちゃんちゃん。
まぁでも、受かって良かったよ。
今夜も、ゆっくり寝れそうだ。