ワシは

刀は武士の魂!

とは思っていない。

魂どころか武器であるとさえ思っていない。

日本刀は物を切るために工夫され作られ、日本独自の製法で鍛えられた刃物だ!

元々は敵の首を刈るために腰に携えていてた。

本来の武士とは馬に乗って弓を射れる人のことを言っていた。

戦争の主流は今も昔もできるだけ遠くから敵を攻撃し味方の損害をできるだけ少なく抑えるよう工夫する戦法だから主武器は当然飛び道具だった。

刀を手にとっての白兵戦など勝っても半数近くが死傷するから戦力は激減する。

そんな時に攻め込まれれば間違いなく壊滅するから戦力維持のためにも白兵戦など鎌倉時代はもちろん戦国時代でもできるだけ避けていた。

敵の首を取るため刈る道具の刀を腰に携えて戦場に赴く兵士が武士だったから、平時にも刀はステータスとして携行してたんだと思う。

平時の緊急事態や戦時に弓矢や槍などを失い孤立して身を守らねばならなくなっ時のために工夫されたのが剣術であるし、素手の場合は柔術だった。

だから本来日本刀は、切れ味は鋭いが繊細過ぎて武器としては向かない刃物であり道具だった。

だからワシは、刀は武士の魂!とは思わない。

武士の魂は、義を重んじ筋を通すことに対しては死をも厭わないその矜持であると確信している。

刀の有無は関係無い!

だから日本の武士道は尊重し、それを現代まで受け継いで来てくれた先人の矜持に深く感謝と尊敬をしている。

木刀でも竹刀でも模造刀でも居合刀でも、そして当然日本刀にも、古からの武士の矜持は現れており、そこに先人武士の魂は導かれ魅かれて寄り添ってくるとワシは思い感じるから、

投げっぱなしや傘立てみたいなものに立てて放置するのは、それをなんとも思わない霊しか集まらず、折角の尊い武士の矜持が等閑(なおざり)にされて高貴な武士の魂が寄り付かなる恐れを感じた。

しっかりとした考えと矜持を持った武士は、貧富を問わず刀の置き場所や普段の扱いもキチンと整えられていたはずだ。

そういう姿勢と矜持を、受け継ぐ者が大切にしなければ武士の本質は失われる。

だから安くても刀掛け台を用意すべきだと言ったのだが誰も分からないようだった。

安物で申し訳ないが、たちまち刀掛け台を購入し、そこに居合刀を掛けるように指示した。

形や物より大切なことはある。

伝統武芸を学ぶなら、そこも大事にしろと言いたかった。