記憶に残っている学校の先生は?
小学5年生の頃の担任の男性教師が印象に残っています。
昭和時代の典型的な『熱血教師』で、生徒みんなから慕われる『カリスマ教師』でもありました。
私は小学5年生になっても顔をつける程度しか泳げませんでした。
それでは駄目ということで、いきなりプールに投げられました。
「死ぬかも。」と思ったと同時に「人間の身体って案外浮くんだ。」とも思いました。
それからは水に浮くことができるようになりました。
さらに25m何とか泳げるレベルにまで到達しました。
スパルタ教育になるかもしれませんが、今でも感謝しています。
クラスでジャイアンのようなガキ大将が居ました。
この先生が担任になるまでのクラスは学級崩壊が起きていたそうです。
そのガキ大将は帰り道にターゲットの女子生徒を子分を連れて待ち伏せし、ランドセルの中身を放り出したり、教科書を破ったりと悪事の限りを尽くしていました。
私は別のクラスだったので、あまり巻き込まれないよう、目を合わせないようにして通り過ぎていました。
小学5年生になってそのガキ大将と同じクラスになりました。
ガキ大将は女子生徒だけでなく、大人しい男子生徒をターゲットにして殴ったりすることもありました。
私も大人しいタイプなので、「ターゲットにされたらどうしよう。」と心配していました。
ただ担任も『熱血教師』になったのが救いです。
この先生はガキ大将の悪事に気付いており、ある日の道徳の授業でガキ大将について思うことをクラス全員に話す機会を与えました。
私は「殴ったり、乱暴が良くない。怖いので止めて欲しい。」とはっきり発言しました。
他の生徒も同様の内容を発言していました。
それからガキ大将は大人しくなりました。
今で言う『公開処刑』でしたが、昭和時代だったから許されたのかもしれません。
こういった『熱血教師』が居られたら、『いじめ』を撲滅できるかもしれません。
ちなみにガキ大将にとって私はやや苦手なタイプだったようです。
ガキ大将の実家が営んでいたプラモデル屋でうちの兄がよく買い物をしていました。
購入額が多く、商売する側からすると『良いお客さん』だったと思います。
その兄妹なので、悪い対応はできなかったかもしれません。
商売人の子供はそういった部分にとても敏感です。
私は給食で好き嫌いがあり、エビ・カニの食材が入っているシチューとかは苦手でした。
私は同じ班にいるガキ大将に「私、これいらないわ。あげる。」と渡すと喜んで食べていました。
残飯処理をしてくれるので、私にとってはとても助かっていました。
今考えると『わがままお嬢様』だったと思います。
熱血教師はその1年で、養護学校に転勤になりました。
転勤になってから、友達と一緒に養護学校を見学させてもらいました。
通常の学校と違って、すべての廊下で手すりがあり、目が見えない生徒も居られるということでした。
転勤しても生徒に会いたいと思われる先生ってなかなか居ないですね。
やはり『熱血教師』は生徒にとってとても大きな存在だったと思います。
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