今朝、殆ど睡眠もせず「ホツマ」について語り合った僕ののちゃん達ですが、幸運にもOさんの連絡で、高島市ホツマ研究会のNさんとタイミングよく会えることになりました 何て凄い展開
Nさんと待合せ時間に余裕があったので、とりあえず宿泊先のロッジを後にして、僕ののちゃんは、他のメンバーと3人で、高島市安曇川町上古賀にある熊野神社に行ってみました。 祭神は伊邪那岐命と伊邪那美命。 他にもこの高島には熊野神社があるそうで、和歌山の熊野三山との関係が、非常に気になるところです
その後、待ち合わせ場所の高島の水尾神社に10時30分に到着。
すでにNさんは待って頂いておりました。
後に他のメンバー20名ほども水尾神社に到着。
お話しによると、Nさんの三代前のご先祖さんが、水尾神社に残っている、三笠山紀(ミカサフミ)と太占(フトマニ)の写しを残されたそうです。
その後、安曇川にある日吉神社から、秀神伝(ほつまつたえ)の全40巻が出てきたそうで、現在はいずれも中江藤樹記念館に保管してあるそうです。
(写真)ホツマを研究されているNさん。今回、突然のご案内を引受けて頂き、誠にありがとうございました。
Nさんは謙遜しながら、いろいろとご説明をして頂きました。
ヲシテ文字で書かれている代表的な本としては、秀神伝(ホツマツタエ)、三笠山紀(ミカサフミ)、太占(フトマニ)と3部作が有名でして、一般的には、いずれも偽者として現在は扱われているのが残念だとか。。。
しかしながら、秀神伝(ホツマツタエ)、三笠山紀(ミカサフミ)は、Nさんの研究会の立場としては、古事記と日本書紀の原本だと解釈しているそうです。
ホツマとミカサふみは大体よく似た内容のことを書いてあり、いずれにしても、太占(ふとまに)のことがわからないと意味が良くわからないのでは。。。っとNさん。
(写真)水尾神社にて、フトマニのコピーを見ながら解説。吉備大臣眞備は、280余りを意訳したとある。
次に向かったのは、胞衣塚(えなづか)
継体天皇はここ高島の地に誕生され、その母、振姫(ふりひめ)がお産のあと天皇の「へその緒」を埋めたのがこの塚と伝わる。 因みに、お母さんの振姫の出は福井だとか。
直径約11.5m、高さ約2.5mの円墳で、6世紀の築造と推定されています。
次に向かったのは、継体天皇のお子様、安閑天皇(あんかんてんのう)が祀られている安曇川町にある安閑神社。 その本殿前には、神代文字の石が立っていて、参加者全員が興味深々
和仁估安聡の秀神伝(ほつまつたえ)が出てきた安曇川の日吉神社へ最後、ご案内頂きました。
出てきたのは境内にある神輿蔵の2階からだそうです。
この日吉神社本殿裏には、発見者の井保孝夫さんが今もご健在だとか。
発見当時の詳しいHPがありました ⇒ 池田満「ヲシテ文献の世界へようこそ」
(写真)日吉神社の神輿小屋。 ここから秀神伝(ほつまつたえ)全40巻が出てきたそうな
そうそう、四国の小笠原さんとホツマの関係についても、Nさんからお話しがありました。
小笠原通當(みちまさ)が、京都の天道宮神官をされていた時に、高島にホツマがあると聞いて、借りて帰えり、写本して通當本となったそうです。
孫の長弘さん、長種さんのお二人もホツマに興味があり写本されました。
通當さんがホツマを返す途中に亡くなられ、後に、長弘さんが返納にこられたそうです。
しかし、その本はまだ見付っていないとのこと。。。藤田本として残っていたそうですが、後の火事で無くなったそうです。残念
現在、小笠原さんの分としては、通當の一部と長弘本、四国宇和島の長種本の全部で3部。
他にもホツマとしては出てないが、三笠山紀(ミカサフミ)の方は去年の暮れ 富士山の河口湖あたりで一部出てきたそうです。
三笠山紀(ミカサフミ)64話の内、現在、高島のNさんは、10話しか持っていないとのこと。 まだまだ探している最中だとか。。。
Nさん曰く、ぜひみなさんも探してみてくださ~いとのこと
古事記研究が盛んな徳島ですが、ホツマ研究が盛んな高島との交流が今後、必要だと非常に感じまくりの僕ののちゃんでした~っ
日吉神社で全員とハグして別れ。。。僕は淡路へ向かいいました。
その途中、白髭神社に立ち寄りました。
淡路に入り、ナフシャに立寄ってから、一宮の伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)へ。
そこには、Kさんをはじめ、わの舞のメンバー達が待っておられました。
久しぶりの再会で、皆様とハグ
そして、ついに尾張の一宮から移動して、淡路の一宮で車を無事に引き渡すことができましたバンザ~ぃ
(写真)軽自動車を淡路島のSちゃん&Kちゃんにお渡しできました
淡路からは、Sちゃんの運転で徳島の僕ののちゃんの自宅まで送って頂きました。
Sちゃん、明日からの東京の旅、気をつけて行ってらっしゃ~ぃ