昼から鳴門市立図書館へ行ってきました。
目的は、「かどや日記」を掲載している福井好行さんの本「阿波の歴史地理 第二」を拝見するためだっ
もともと、伊勢参りのドキュメント映画を作っているのが切欠で、「文政のおかげ参り」のことを知り、先日、パワ友さんから借りた本「徳島県・謎解き散歩」に、「かどや日記」にその当時の「おかげ参り」のことを詳しく書いてあるとのことでしたので、その著者の元木宇三郎邸を訪ね。。。そして今日、その「かどや日記」の関連本を目の前にしている。。。何てウキウキ&ワクワクする瞬間なんだろう
(写真)阿波の歴史地理 第二の表紙。 持出し禁止の図書でした。
この本は、徳島県内では鳴門市立図書館しか置いていない珍しい図書でして、アマゾンでも手に入らないレアな本。
「かどや日記」以外にも、興味深い記事が沢山ありました。
162ページ~364ページまでが、元木宇三郎さん筆記の「かどや日記」でして、当時の1808年~1855年の48年間の日記を掲載しています。
身の回りで起こった日常的な出来事や、全国的なニュースなど興味深い内容が一杯
伊勢お影参りの記載されているページをスキャンしてOCRでテキスト化してみました。
先日、3,180円で買ったプリンターに、おまけで付いていたソフトですが。。。なかなかの出来栄え
伊勢御影参三月廿一日頃より佐古町ニ少々出懸候所、
廿三四日ニ到り候而ハ市中一統尽夜不隈小家などハ家内
不残、或ハ一軒ニ二人三人四人程宛出立大騒動二付六之
承芝居曲持芝居等もとまり申侯、市中大家ハ始壱匁或ハ
五分三分宛壱人ニ施し候得共数千人二及、後ニハ五文三
文壱文二相成候、郷分も廿四日暁より多出立仕、夫より追
々相広り上郡山分迄もー村も不レ残南方も同断、渡海場
所ハ多分撫養、後ニハ大岡別宮鈴江津田南方浦々徳嶋新
町東西石場辺迄大船小船日々何拾艘卜申程宛出船仕候、
撫養近藤・和泉屋大船三艘宛施船ニ而渡申候、て印手船
施、撫養辺とも銀札銭施、又ハ茶漬かゆ握飯等色々施
之候待とも後ニハ続不レ申候、又商船ニハ福良賀田賃銭
五六分位より弐三匁程宛、大騒動二而定無之候、其中ニ
ハ悪者有之船人ニ紛先運賃ニ取立取遁致又ハ少々之路銭
奪取候屋ら女人連計ハ小船ニだまし乗押領致候も有、右
様之悪者共上御役人も数多出見付早速被召取申候、其後
ハ御究り厳敷不正之義も無候、市郷共大人小供ハ八ツ位
より以上寺子屋より直様抜出、女ハ前垂之侭ニ而欠出し
路銭少々用意仕も有又ハ一文なしこ而欠出候む有、且亦
市郷共所々へ御祓等ふり又ハ御幣色々様々の不思義多有
之候、徳嶋山中より道中足弱人助ケの為駕百挺駕廻しの
人夫共上方道中筋へ出施し仕候、甚大評判ニ而御座候、
道中国主御領主よりも御究り厳敷宿銭わらじ諸事高直ニ
不仕様并旅人難義不仕様被仰出ニ付格別無銭之者も難義
不仕帰国仕候、他国之義も当国抜参発端ニ而追々淡州、
紀州、泉州、播州地へ広がり打続京大坂辺大流行二相成
候誠二御神他市灘事申も中々おみかなり
御当代二村成御影参発端宝永二年、夫より六十七年
目、明和八年夫より六十年目当文政十三
う~ん、なるほど。。。
そして、もう一つ気になる記載を発見
宇治橋が焼けてしまったっと言う記事。
原文は次の通り。。。
三月十九日より廿日伊勢宇治橋西詰北側より出火
而両側八軒程焼、宇治橋焼、夫より東詰町町家不残焼追
々飛火ニ而八十末社并其外古社小社段々焼候得共内宮様
御本社神楽堂御馬屋鳥井杯ハ相残夫より御林より南へ焼
抜磯辺宮へ行道筋壱里半程山焼候而鎮火成候、御影参り
年二恐多キ事二候得共御本社御無難御神徳之程奉恐入事
二候
まさに、江戸時代のブログを覗いているような気分になってきました
(写真)この阿波の歴史地理 第二の著者、福井好行さん。 昭和43年11月23日に撮影とある。
この本の著者である福井さんの本をいくつか見てみると、僕ののちゃん的に、非常に興味範囲がリンクしておりまして、今後とも福井さんの本は要チェックだっ。。。
しかも、ご住所を見ると、ブーちゃんの親戚のすぐ近く。 親近感をムチャクチャ感じております。