朝8時の待ち合わせで、T宮司さまと高知へGOGOGO 日帰りで行ってきました
行き先は、いずれも土御門上皇の伝説が残る。。。香南市の宝幢院&月見山、そして香美市の龍河洞です。
雨が降る中、朝10時過ぎに宝幢院に到着。 こちらは、1221年の「承久の変」の後、ご自身の意を持って土佐の四万十川河口付近に配流なされた上皇が、阿波へ移られる際、立ち寄ったとされる場所が、この宝幢院に隣接する月見山です
まずは、宝幢院に寄ってご挨拶 社務所の女性に土御門上皇のことをお尋ねしてみました。
女性曰く「中村から阿波への移動中に、この山に立ち寄られ、月を眺め、寺の者がお接待をしたようです。」 っとのこと その他、新たな情報はゲットできましせんでした
上皇の歌った、『鏡野やたが偽りの名のみして恋ふる都の影もうつらず』。。。の歌碑がその月見山の山頂にあるとのことですが、何しろ凄い雨で近くを車で通り過ぎるだけにしました。。。
次に向かったのは、香美市の龍河洞。 僕ののちゃんは、小学生低学年の時、両親に連れて来れられた時以来の2回目となる訪問。
自分の身体が大きくなった分、何だか洞窟が小さくなった感じ 春夏秋冬、常に16度をキープしている洞窟内は、雨の湿った天気にも係わらす、清清しかったです
洞窟入口の案内板には、『洞名の起こりは承久の変(1221)の後、土佐に配流された土御門上皇が入洞された時、錦の蛇が現れ、上皇を案内したという。天皇の乗物、「竜駕」が転じて「龍河」となったとの伝説がある。』。。。っと書いてありました 残念ながら、錦の蛇ではなく、コウモリが現れ、T宮司の小さな悲鳴が洞窟内で響いておりました
恐らく、この龍河洞と月見山を寄ってから、野根の峠を越えて、阿波へ入られた可能性が大きいようです。
洞窟を後に、香美市立図書館でしばらく時間潰し。 高知の郷土史や村誌などを見ましたが、残念ながら土御門上皇についての新しい情報はありませんでした。 この点、徳島の方が上皇に関する書籍が多いことに気付かされました。
その図書館で、書籍を見終え、手持ちの携帯でネット検索していると新たな情報を入手。。。
陵墓のページにて、『土御門天皇妃千代鶴姫、土御門天皇皇子 四万十市大屋敷133番地の井森神社』の記事。
ひょっとして、京から中村の地へ配流なされて、すぐに上皇の妻と子を亡くされたのか
そう言えば、今回の土佐路の旅においてT宮司は、最初は高知中村をお誘いしましたが、「暗い、行きたくない」っとの発言があったのですが、そのワケは。。。ひょっとして、この妻と子の死に関係しているのではっ っと僕ののちゃんは勝手に思うのです。
いずれにしても、配流先で一年も経たない内に徳島へ移る理由の一つとして、妻と子の死亡説も何となく裏付けます。。。
図書館の後、道すがらのカフェでコーヒータイム 外は台風のような悪天候
しかしながら、タイミング良く、車の乗入れの際は雨が小降りに
感謝感謝。
16時、先週、阿波宮にて奉納演奏された繁藤雅陽会のお二方の所にお邪魔しました。
高知のトアル教会内は非常に美しく、大変な天候にも係わらず、Mさんをはじめ、Sさんも駆けつけて頂きました。 ありがとうございました
師匠から借りて練習予定の、「笙(しょう)」の調律とメンテナンス方法がメインでして。。。とりあえず、調律をしてもらうために、預けて高知を後にしました
今回の日帰りの土佐路は雨にも係わらず、土御門上皇の所縁の地3ヶ所をゆっくり巡ることができました。 T宮司ありがとうございました