今日は、朝5時に起床して、パワ友のW邸へ出発
途中、H夫妻と落合い、徳島は古宮にある『石尾神社』へ、4人で行ってきました。
細い山道をくねくね車で登り、朝8時半頃に到着しました
車を道の際に止め、5分ほど歩いて下山すると。。。巨大きな岩が2体出現
案内板を見ると、大きい方は、見えている部分だけで、100m×50m×30mの四角い大岩で、古代信仰の場であったようです。
←高野マキの林の両脇に巨大岩がそびえ立つ
←その大岩を祭神として、石尾神社の拝殿が寄り添っている
今回もパワ友のWさんは、日熾しセットと阿波踊りの鐘を持参 早速、火打石で火
を熾し、その火
でご飯を炊き、お結び
を6個作って、阿波踊りの鐘の音と一緒に拝殿と祠に奉納させていただきました。
ところで、ちょうど今日から徳島市内では阿波おどりが開催されています
この大岩をみんなで反時計回りで一周したのですが、その途中で、大きな岩の裂目を発見 そこには、『金鶏の風穴』と看板が立っていたのですが、みんなでそこに突入してみました
用意していた懐中電灯を持って、夫妻の旦那Kさんを先頭に入ってみました。。。結構ヒンヤリ
でも、だんだんと狭くなるワ、足元が悪くなるワで、途中で断念しました。
←大岩の裂目『金鶏の風穴』に入ってみることに、Cさんもトライ
約1時間半、ここ『石尾神社』で散策して、下山することにしました。
『閑定の滝』まで戻り、ここで、Cさん&Kさんとは仕事の都合でお別れしました。。。ありがとう
そして、僕、ののちゃんとパワ友のWさんとで、ここで滝行をすることに
すると、何やら僕達とよく似た麻褌のグループが滝行をしているではあ~りませんか
どっかで、見たような。。。でも。。。 とりあえず、ご挨拶して、一緒に滝行をさせていただくことにしました。
ここ『閑定の滝』は、徳島の忌部山(友内山)山麓の有名な滝
巨大な岩の壁を緩やかに大量の水が流れ落ちる、女性的な滝です。
滝壺はそこそこ浅いので、滝の下まで女性でも簡単に行くことができます。 現に、女性も滝行をしておりました
パワ友のWさんが、そのグループに話しかけ、『カニさん』のことを伝えると、全員が知っていました。
みんな、種蒔大師のニコニコ市やナマステゲストハウス、そして剣山の祭りなどに参加している、近くて遠いお仲間だったんです。。。よ
気も心を知れたことで、お互い滝行をしたり、火熾しをしたり、岩積みしたりして時間を過ごしました
帰り際、そのグループの一人、マサさんと名刺交換させていただきました。 また機会があれば穴吹のお店にお伺いしようと思っています
←徳島県美馬市口山にある『閑定の滝』 別名『御所が滝』 落差33mあるそうだ。
昼食時間になったので、滝で先ほどのグループとお別れ。。。 パワ友Wさんとうどんを食べ、(旧)川島町へドライブ
途中、「空海の曼荼羅(まんだら)『風の櫻(さくら)』美術館」に寄ってみたが、臨時休業中。。。もう2週間ほど休業しているとのこと。少し心配だ
次に、同じ(旧)川島町の山際にある『上桜城跡』に行きました
いろいろ調べた結果、要約すると。。。
阿波国の国主、父、三好義賢が戦死した後、その長男の三好長治が8歳という若さで国主を継ぐことになる。
子どもであった長治を補佐したのが、この上桜城の城主であった篠原長房。
彼は三好の中でも、軍事と政治においては非常に才能に通じたエリート家臣であったようだが、
堅実な性格であったがゆえ、三好氏のお家騒動で、逆に疎んじられるようになってしまう。
後に双方3千人もの死者を出す争いで、篠原長房は三好家によって戦死してしまいます。
この戦い以降、三好家は衰退の一途を辿り、荒田野の戦い、長宗我部元親による阿波国侵攻の誘発などにより、
生き残った三好家は、瀬戸内海の伊吹島へ逃れたという話し。。。
この時、三好長治は享年25歳で敗戦し、自害しています。長治の詳細については、ののちゃんブログの 三好長治 (みよし・ながはる) 1553~1577
を見てネっ
←徳島の(旧)川島町にある『上桜城跡』 草に覆われた細い道の奥に、本丸跡があるらしい。
城跡を後に、僕達は直ぐ近くにある『水神の滝』に行きました
ここでは、滝行はしませんでしたが、パワ友Wさんとゆっくりお話をしました。
朝が早かったせいか、すこしウトウトしてきました
←上桜公園の近くにある『水神の滝』 落差17m
今日は、残念ながら参加できなかった、滝友のIさんでしたが、また次回、Iさんとも『閑定の滝』に行ければと思っています。
そして、ボランティア友達のYさんから、夜に岩手から、ボランティア活動の報告電話がありました。。。7月18日までボランティアを続けるそうなので、熱中症に気をつけて、活動を続けてください