サムエル上9:14-17 旧約p 440(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
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二人が町に上り、町の中に入って行こうとしたとき、サムエルも聖なる高台に上ろうと向こうからやって来た。
サウルが来る前日、主はサムエルの耳にこう告げておかれた。
「明日の今ごろ、わたしは一人の男をベニヤミンの地からあなたのもとに遣わす。あなたは彼に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの指導者とせよ。この男がわたしの民をペリシテ人の手から救う。民の叫び声はわたしに届いたので、わたしは民を顧みる。」
サムエルがサウルに会うと、主は彼に告げられた。「わたしがあなたに言ったのはこの男のことだ。この男がわたしの民を支配する。」
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私たちの願いの基準は何でしょうか。
私たちの願いは、自分の内から出てきたものでしょうか。
他人との比較によって生まれてきたものでしょうか。
イスラエル民族は最初王制ではありませんでした。
国難のときには、その都度リーダーが神様によって起され、
その権威が子孫に受け継がれることはありませんでした。
けれども、その方法では他国からの侵略に対しての対応が
遅くなる場合もありますし、脅威を受けるばかりで、
与えることはできません。
いずれにしても、王制を敷いている他国との比較で、
自分たちも王を持ちたいと願ったわけです。
最終的には、ダビデ王の誕生を見ることになり、
神様の計画(イエス・キリストの誕生)へとつながって行きますので、
最善へと導かれたことになりますが、
民の動機は必ずしも喜ばしいことではなく、
創造主の願いとは別のところにありました。
創造主は最善へと導かれます。
けれども、私たちの願いの動機がどこにあるのか、
考える必要があります。
何事も他人との比較で見るのではなく、
自分の本当の必要を、祈り求めるようにしたいものです。
