動物の血 | 牧師室のブログ

牧師室のブログ

毎日、聖書の言葉と解説をお届けします。

レビ4:27-31 旧約 p 167(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
-----------------------------------------------------------
一般の人のだれかが過って罪を犯し、禁じられている主の戒めを一つでも破って責めを負い、
犯した罪に気づいたときは、献げ物として無傷の雌山羊を引いて行き、
献げ物の頭に手を置き、焼き尽くす献げ物を屠る場所で贖罪の献げ物を屠る。
祭司はその血を指につけて、焼き尽くす献げ物の祭壇の四隅の角に塗り、残りの血は全部、祭壇の基に流す。
奉納者は和解の献げ物から脂肪を切り取ったように、雌山羊の脂肪をすべて切り取る。祭司は主を宥める香りとしてそれを祭壇で燃やして煙にする。祭司がこうして彼のために罪を贖う儀式を行うと、彼の罪は赦される。
-----------------------------------------------------------
昨年、イスラエルの少女合唱団のメンバーと話す機会がありました。
高校生くらいの年代ですが、ベジタリアンの子達が何人もいました。
理由を聞くほどの語学力がないので、残念でしたが、
若いのにしっかりと生き方を持っているんだなぁと感心しました。
私たちが毎日様々な肉類を食べることができるのは、
動物の命をもらう行為を私たちの代わりにして下さる人があるからです。
そこでは、毎日どれくらいの血が流されていることでしょうか。
感謝して食べなければなりませんね。
2千年前以前のエルサレムの神殿でも、
毎日毎日動物の血が流されました。
祭司はほとんどと屠殺係のようなものでした。
命を奪うことが、人の罪を赦し、人を生きる者と認定することになったのです。
私たちが「生きる」ために、血が流されるべきと聖書は規定しているのです。
その聖書に反することを神はできません。
その意味でもキリストの十字架は避けられないものだったのです。
今日「生きる」ことを神に感謝したいものです。



牧師室のブログ