晦日の午後、駅近くの自転車置き場から、
自転車をだそうとしたら隣の自転車に触れた。
そのまま自転車は倒れて、絵に描いたような将棋倒しになってしまった。
結構な台数である。
ちょっと恥ずかしいのもあり、苦笑いしながらまずは一台起こしていると
うしろから、「やっちゃいましたね」と声が。
みると、若者が自転車を起こしてくれている。
今時のハンサム君で、茶髪にスエットの上下、アクセサリー。
ちょっとちゃらいといわれそうな出立ち。
そんな彼がぐいぐい自転車を起こしてくれている。
私といえばノーメイクのおばさんで、
どうでもいい格好をしていたからお金持ちにもみえなくて。
一瞬、彼になんのメリットが?私はなにもお礼ができない。申し訳ない!
とおもった。
ともかくお礼を言うと、彼は一言。
「みちゃったんで!」
そして終わった後は笑顔でスタスタ去っていった。
まあ、すてき。
そのときは、「日本の若者も捨てたもんじゃない」的なことを考えて
ほくほくしてスーパーへむかったのだが、
ふともう少し考えてみた。
私は、なんですぐに、お礼ができなくて申し訳ないと思ったんだろうと。
彼にとってのメリットなんて考えたんだろう。
つまり逆を言えば私はメリットなしにはうごかない人間なのか?
実を言うと財布をだそうとおもったくらいである。
いや、これはどうやら、悪い癖なのだ。
自己評価が異様に低い。なので、好意で人が何かをしてくれるということが
信じられなく、うまく受け取ることができない。
この癖は、自分自身にも相手にも失礼で、
見返りがなければあなたが私に対してなにかをしてくれるわけがないと、
相手をみくびっていることになる。
自分のこともみくびっている。
多分生きてきたどこかで刷り込まれた癖だろう。
誰が悪い訳でもない。私自身も悪くない。
そして、これは私の癖でもあるけど、
日本人に多くみられる、社会の癖ともいえるきがする。
夫の死後、どうしても人の手を借りなければならないことが多くて
そのときはほんとにありがたいと思いつつ、
この自分の根っこ深く染み付いた悪癖に悩まされた。
申し訳ないですありがとう、と、どんどん小さくなっていった。
結局夫の件に関しては、私のためではなく夫のためだし、
なんといっても伴侶の死という非常事態なので、
全く違うメンタルに移行してしまい意図せず乗り越えました。
(けど、このときに自分のもってる心の癖に気づけた。)
ともかく、気づけたのはいいことだ。
その癖を手放す糸口をまたひとつみつけたんだから。
いままでの人生で、自分を苦しめる謎の行動をとる原因の一つがわかったのだから。
さて、自転車を起こすのを手伝ってくれた彼は
みちゃったらほおっておけないというやさしい人。
私はその好意を素直にうければいいのだ。
それと、厳密に言えば、私が彼に何も渡していない訳ではない。
私は彼にこころから感謝したので、そのエネルギーが彼につたわったはずだ。
そして、感謝のエネルギーは、とても強いので
彼はきっといい気持ちで満たされたんじゃないだろうか。
ほんの一瞬でも。
やっぱり世の中は、こうしたエネルギーの交換でまわっているんだなあ
今日のこのいい気分はきっと良い方向に私を連れて行ってくれるし
このいい気分でいることで、
私の悪癖が全く必要のない思い込みであることを気づかせてくれる。
もちろん、これで終わりではなく、
染み付いた悪癖はすぐまた違う顔をして私を試しにやってくるんだけど。
(悪癖と表現したけれど、何事も相対的であるから、いいこともあって、
私を守るために存在した癖だったともおもう)
いちいち何か起こるとこんなことを考えている。
ないがしろにしていた自分をもっと丁寧に扱おうとおもったら、
いろいろと解明しなければいけない謎が次々に浮かび上がるので、
いつもこんなかんじ。
まあ、これはこれで人間味があってよいではないか。
こんな私につきあってくれる人たちがありがたい。
ほんとに。
いつもありがとう。これからもよろしく。